応募のお礼と韓国訪問 [取材]
『烈火の月』多数のご応募ありがとうございました。
ご応募の中からこちらで無作為に選ばせていただきました。該当の皆さまにはその旨すでにメールにてご通知いたしました。早い方はすでに発送済みですが、できる限り速やかにお届けできるよう手配しております。楽しみにまっていてください。
本日、1月29日からソネットエンターテイメントのスタッフと共に韓国へ出かけます。(今回の韓国訪問の模様をブログとコラボレーションしたいと考えています)
今回の一番の目的は、韓国の新聞「PDジャーナル」の取材を受けることです。日本でもメディアの取材を受けた経験がない私が、いきなり海外メディアからの取材で今からすごく緊張しています。
でも、大切なことは作品の内容を正確に伝えることと、野沢作品の素晴らしさや作品にこめた思いをきちんと伝えることだと思っています。思いが上手く伝わることを願っています。
また、滞在中幾つかの映画制作会社・ドラマ制作会社(6社)と出版社(3社)に対しすでにアポイントを入れてあります。2泊3日ではかなりタイトなスケジュールなのですが、このような場をいただけたことは本当に幸せなことだと考えています。『恋愛時代』や『恋人よ』だけでなく、まだまだ素敵な野沢作品があるということをお伝えして帰って来たいと思います。
そして、新たな映像化や出版が叶うといいのですが・・・。
今回の韓国滞在ではプライベート時間ゼロで、前作品でお世話になった方々との久しぶりの再会時間もなさそうでちょっと残念です・・・。
『恋愛時代』で初めて韓国の人々を知ったのですが、一度親しくなるとまるで家族のように受け入れてくれるところがあり、その温かさが大好きだし訪れるたびに家族と再会したような気持ちになります。
でも今回は仕事優先で頑張ります。
今回の韓国訪問に関しては、後日ブログかスペシャルでご報告いたします。
どうなるか・・・頑張ってきますので、ご期待ください。
本日放送!『氷の世界』 [小説]
『氷の世界』本日フジテレビより放送です。
本日は第一話、第二話ですから、放送の時間にはトイレを済ませ、飲み物を用意してテレビの前でじっくりご覧になってください。新たな発見があるはずです。
~・~ 役者さんへのラブレター ~・~
野沢は脚本を書く上で一番大切にしていたのは、ドラマの表に出ない登場人物の経歴を丹念に作ることでした。家族構成や年齢、初恋から失恋まで、どういうふうに生きてどんな傷を持っているか、その人物の伝記を書くつもりで執筆していました。そうすることで「こういう人生を歩んできたんだから、ここでこのセリフを言わせたい」っていうふうに。脚本はその役者さんにあてるラブレターだと言っていました。そしてその役者さんを愛さなくてはと。
『氷の世界』シナリオ集
上記写真のシナリオ集は、そんな野沢の思いがいっぱいに詰まった本です。最初のページをめくると目次の次に「廣川英器、28年の歴史」が8ページにわたって書いてあります。続いて江木塔子、烏城武史、庄野月子、迫田正午と書いてあります。
このシナリオ集を読むことによって、映像に描かれていない登場人物たちの経歴が分ります。「あ・・こんな家庭で育ったんだ」「こんな子ども時代があったんだ」など詳細に書かれています。お読みいただいてから放送をご覧になるとより深みのあるドラマの見方ができると思います。
表面的な事件や出来事だけでなく、描かれた人々にも思いを寄せてご覧になってみてください。
映像として見るのもいいですが、読んで見るのもまた新鮮です。
是非試してみてください。
『氷の世界』 [ドラマ]
『氷の世界』
・・・人を愛することは、自分がどれほど強い人間かを試すこと。人に愛されることは、自分がどれだけ他人に認めてもらえるのか、自分はどれほどこの世に存在する意味があるのか確かめること・・・。
たとえその恋愛が失敗に終わったとしても、人を強く愛せた自分、人に強く愛された自分を認識し、その後の人生を自信を持って送れるのではないのでしょうか。
いま私は、この言葉を実感しています。野沢に強く愛された自分を意識して弱気になったときも自信を取り戻し頑張っています。
フジテレビより『氷の世界』の再放送が決定いたしました。下記日程にて1月25日からスタートです。
(番組宣伝などにより多少の流動性も考えられるそうです)
1/25(木) 14:07~15:00 #1
15:00~15:58 #2
1/29(月) 14:07~15:00 #3
1/30(火) 14:07~15:00 #4
1/31(水) 14:07~15:00 #5
2/1(木) 14:07~15:00 #6
2/5(月) 14:07~15:00 #7
2/6(火) 14:07~15:00 #8
2/7(水) 14:07~15:00 #9
2/8(木) 14:07~15:00 #10
15:00~15:58 #11
保険調査員の廣川英器は、女子校の女教師の死亡事件を調べる中で、江木塔子という魔性の女と出会う。彼女は5年間で3人の恋人を亡くし、しかも誰もが高額の生命保険に加入していた。廣川は真相を探るのだが、次第に彼女に魅せられていく。愛した女は殺人者なのか。そして彼も4番目の被害者になってしまうのか・・・・・。究極のサスペンス!
是非ご覧になってください。
おやじ、ありがとう [野沢コメント記事]
1997年に週刊誌に書いたものです。
父の膝に乗りこちらを見つめてるのは、当時4歳の野沢尚です。脚本家・作家として紙面に登場した野沢尚から想像できましたでしょうか。
この記事にも書かれてますように、この仕事に進むきっかけを作ったのはお父様だったようです。そして父のためにと「坂の上の雲」という作品を引き受けました。最初、大河ドラマとスペシャル大河(坂の上の雲)のお話があり、どちらをやろうか悩んでいました。私にも意見を求められました。ですが野沢は「坂の上の雲をやろうと思う。おやじに見せたいんだよね」と言いました。最初からこの作品がやりたかったように感じました。
今思うと当時の選択は正しかったのか分からなくなります・・・。でも、幼い日に今の職業を選択したように、あの時も自分の信じる選択をしたのでしょう。
’64年に名古屋の自宅で撮影。当時父は37歳(この記事を書いた野沢と同じ)
父に教えられた「物を作る楽しさ」
僕が小学校低学年の頃だったと思う。そろそろ父が外国から帰ってくる頃だと思い、雑木林での蝉とりも早々に切り上げ、家に帰った。
父は昼間から風呂に入っていた。朗々と響いてくる歌声があった。父は「骨まで愛して」のサビを繰り返し歌っていた。出張先のタイで日本の流行歌が流行っていたのだという。晩酌でご機嫌になるとドイツ語の歌を高らかに歌う父が、「骨まで愛して欲しいのよ~」と口ずさんでいたのが可笑しかった。
家畜遺伝学者の父は、僕が幼い頃から、世界各国の家畜を追って海外出張ばかりしていた。だから僕は「寂しさ」というものに免疫ができた。家族旅行など一度もしたことがない。だが、どんなに酔っ払って帰ってきても父が将棋を打ってくれるだけで、僕は満足だったような気がする。
あれが所謂、アカデミックな家庭というやつだったのだろうか。父は外国から帰ってくると、現地で撮影したヤギや羊のスライドを、襖をスクリーンにして解説付きで上映した。家の冷蔵庫には動物の血液が入った試験管が束になって置かれていた。食卓で大きな蛙を解剖してくれたこともある。
本に囲まれる生活というものを、父の書斎を見て憧れたのは間違いない。
初めて見た映画は、父と一緒に今池国際劇場で見た『沖縄決戦』だった。
最初は映画評論家になりたかった。毎日ただで映画を見られるなんて、夢のような仕事に思えたのだ。すると父が言った。「人が作ったものを批判するより、自分で作ったほうが楽しいぞ」
おかげで僕は、どんなに辛くても「楽しい」と言える仕事をこうして手に入れることができた。
読み直してみて・・・私は複雑な気持ちになりました。
執筆のとき [野沢コメント記事]
1998年2月4日 ある新聞に寄せた野沢のコメント記事です。
読む人うならせたくて 勇気出し自作読み返す
今、机に積んだ原稿を前に僕は途方に暮れている。
400字詰め原稿用紙に換算して720枚。正月を挟んで40日で書き上げた次回作の小説だ。
情けないことに、読み返すのがこわいのだ。
40日の短距離走だった。720枚といえば、連続ドラマ・ワンクール分の原稿量に等しい。ドラマの仕事ではこの量を4ヶ月ほどかけて、1回ごと、プロデューサーやディレクターのチェックを受けながら書き上げていく。まさに1人駅伝競走だ。先ごろ終わった「青い鳥」では1年以上を走り続けた。
もちろん、出版社には有能な担当編集者もいるし、執筆に詰まったときは酒場に誘って相談を持ちかけてもよかった。だが、小説を書く魅力とは徹底した個人作業にある。仕事場に朝入り、夕方までこつこつノルマをこなし、机に原稿を積んでいく日々を、書き終わるまで続けてみようと思った。
3分の2を書いたところだった。「この小説は本当に面白いんだろうか」という根源的な疑問が突き上げてきた。こうなるとパソコンを起動させて白紙の画面を前にしても、なかなか文字が埋まらない。1日7時間労働のうち、最初の2時間は、自分を覚醒させ、調子に乗せるための戦いに費やすことになる。今書いている物語と共通する映画のサウンド・トラックCDを流し、我が子を誘拐された婦人警官になりきり、犯人に怒りの銃弾を放つ。そして犯人側に立って、前代未聞の身代金奪取計画に知恵を絞る。
とにかく文章を組み立てて描写を重ね、「この犯罪計画は穴だらけじゃないか?」とか「人間がストーリーに埋もれてしまっていないか?」とかいう自分の内なる声をひき殺していく。
だが、それでも執筆に詰まってしまい、頭をかきむしる。自分の才能のなさに嫌気が差す、というよりも、なまじ書く才能があったがためにこんなふうに苦しまなきゃならない身の上を呪う、という心理だ。
「どうしてこんな仕事をお前は選んだのだ?」と、「だって、ほかに何の取りえもないだろう?」と一方が言い返す。大学4年の時に人並みに就職活動をしていたら、自分にはどんな人生があっただろうか、などと考えているうちに、昼になり、腹が減り、自宅から持ってきた弁当を食べ始める。
午後の部だ。もう内なる邪念には耳を傾けない。とにかく文章を紡ぐことに集中し、登場人物と肩を組んで虚構世界を突っ走る。
午後5時、何とか1日分を書き終え、疲れ果ててソファにぐったり横たわる。小説であれ、脚本であれ、自分は一生、現実にいもしない人間たちを相手に苦しまなくてはならないのだ、と改めて思い知る黄昏時だ。
が、この原稿が製本され、書店に並び、読み終えた人が「ほうっ」と満足の溜め息を漏らしてくれる時を、どうしても夢見てしまう。
勇気を振り絞って、今からこの小説の読者になるべく、1ページ目をめくってみることにする。
手紙 [その他]
日曜だというのに膨大な資料の中に1日埋もれて仕事をしていました。
そのご褒美でしょうか、素敵なものを発見しました。
最初に目に留まったのは、当時『烈火の月』を週刊誌「ポスト」に連載させていただいていましたときの編集者さんが書かれた一筆箋の文字でした。封筒にも入らずに私に気づいて欲しそうに・・・。
<前略>
この度、野沢先生宛てに読書の方から手紙が送られてきました
ので、転送いたします。
担当者としてこれ以上嬉しいことはないくらい、読んでいて幸せな
気持ちになりました。
残念ながら、連載小説について手紙をもらうことは殆どございません。
他の作家担当者に聞きましても、一度もないそうです。そういった中で、
この様な手紙をいただけることは担当者冥利につきます。
<後略>
読者からのその手紙は編集者の手紙のすぐ後にありました。
筆を使い達筆な文字で書かかれた封筒の中をのぞくと、巻紙というのでしょうか、和紙を何枚もつなぎ合わせ巻き取るように折られた手紙が入っていました。それはそれは美しい行書体の文字が流れるように書かれたいました。
美しさは文字だけではなく文章も同様で読んでいて幸せな気持ちになるとおっしゃっていた編集者のかたの言葉も理解できました。
長い冬を炬燵に入り頁をめくって読んでくださってる姿が目に浮かぶようでした。登場人物に触れ、起こっている事件に触れご意見や感想を書かれていましたが、私の注目した部分は主人公我妻諒介が普通に身近にいるような人物と言っていた部分です。何度か読み返してもこの部分がどうしても理解できないでいた私にとって、この手紙はそんな疑問を薄れさせてくれました。
お手紙を下さった読者様
雪深い東北の地から応援ありがとうございました。
野沢はきっと涙しながらこの手紙を読んだことでしょう。
砦なき者 [小説]
『砦なき者』は、
第43回江戸川乱歩賞受賞作品『破線のマリス』の
続編とご存知だったでしょうか?
首都テレビ「ナイン・トゥ・テン」を舞台にして
繰り広げられる物語は、
大きく分けて「殺されたい女」「独占インタビュー」
そして「降臨」「Fの戒律」と
3つの短編小説のような形で構成されています。
それぞれのタイトルごとに、
物語りは完結しているのですが、最後に
1つの物語『砦なき者』として
完成させるように、
八尋樹一郎が登場するのです。
とても斬新な構成になっていると思います。
なかでも私は「殺されたい女」が一番好きです。
この作品が完成し
最初に読ませてもらったとき、
「私は今夜、殺されます」の台詞にえっ?と思い、
気がつけば赤松と女の会話に
引き込まれていました。
まるで物語の中に居るかのような緊張感で、
この先はどうなるのだろうと
ドキドキしながら読んだことが思い出されます。
当時の私にとっては『破線のマリス』よりも
好きと感じたことを記憶いしています。
各章が短いので、あらすじを書いてしまうと、
これから読まれる方には
ご迷惑になってしまうと思いますので
感想だけにしました。
本当に印象に残る作品だと思いますので、
是非ご一読いただけたらと思います。
皆様に『烈火の月』文庫本プレゼント。は終了しました。 [小説]
皆様に『烈火の月』文庫本プレゼントは終了しました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
当選者の方々には、追ってメ-ルにてご連絡させていただきます。
野沢と深作監督の到達点 [野沢コメント記事]
今日は1月6日小学館より発売の『烈火の月』について書きたいと思います。
野沢尚と深作欣二監督との出会いがこの作品の出発点。
この『烈火の月』は「その男、凶暴につき」のノベライゼーションではなく、一編の新作としてこの世に送り出したかった。新キャラクター「マトリの女」をはじめ主人公や敵役、脇役に至るまで相当の取材を重ね書き込みをおこなった。
シネスコの手持ち画面が激しく揺れる深作・現代アクションを夢見て、何本ものプロットを書き上げた。
そして、何本目かのプロットが監督の琴線に引っかかった。
タイトルは『灼熱』(「その男、凶暴につき」の原型)
しかし、その後多忙を極める監督も野沢も別の映画作品スケジュールへと向かうことになった。
1年後の再会。
その頃、作品タイトルは『その男、凶暴につき』に落ち着いた。
そして、ビートたけしさんが初主演に決まった。
同時期、結局スケジュールの合わない深作監督は作品を離れ、ビートたけしさんが監督を兼ねることになった。
ある程度の改定後、「あとは現場にまかせてほしい」とプロデューサーの一言で脚本を手放すことになった。
自分の作品をわが子のように思っていた野沢にとって、とても辛いことだったと思います。
北野たけし監督作品を観て帰ってきた日。
「自分の脚本をズタズタにされたことはやっぱり耐えられないけど、北野たけしは天才だよ。悔しいけど傑作だったよ」と言った。
野沢の表情を見たら、何も声をかけることが出来ませんでした。
結局、お互いのスケジュールや諸条件が合わず、深作監督との仕事は実現しませんでしたが、この出来事は、後に野沢を作家へと動かすきっかけの1つになりました。
2003年1月12日、深作監督は永眠されました。
空は悲しげに灰色の雲が立ち込め、時折かすかに小雪が舞う寒い日でした。
すすり泣きが響く築地本願寺の境内で、野沢と2人で合掌し、消えていく霊柩車を見送りました。
私の頭上から野沢の声を殺して泣く音が聞こえました。私は顔を上げて野沢の表情を見てはいけないと思いしばらくの間、じっと涙でゆがんだ足元を見つめていました。(深作監督は私たちの結婚式でもスピーチをしてくださいました)
『烈火の月』単行本の奥付を監督の一周忌命日の2004年1月12日にすることにこだわったのは、深作映画の脚本家は、監督に殺意さえ覚える・・・そんな濃密な仕事をご一緒したかったからでしょう。
単行本出版から5ヵ月後、私は同じ築地本願寺で、あまりに短い人生を生きた野沢を見送りました。
天国で深作監督に逢えたのでしょうか・・・
あけましておめでとうございます [その他]
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
皆さまは少し寝坊をして、のんびりとした朝をお迎えなのでしょうか。
今日の東京地方は晴天で気持ちのよい日です。
1年の始まりを穏やかに迎えられたことを感謝しています。
野沢の元日は、朝起きておせち料理とお雑煮を食べてから、近所の氷川神社にお参りに出かけることでした。元日だからといってすごく寝坊することもなく、毎年決まった行事を楽しんでいたように思います。
この近所の氷川神社へは元日だけでなく、ドラマの放送前日や当日にもヒットを祈願してお参りに行っていました。