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野沢と深作監督の到達点 [野沢コメント記事]

今日は1月6日小学館より発売の烈火の月について書きたいと思います。


野沢尚と深作欣二監督との出会いがこの作品の出発点。
この烈火の月は「その男、凶暴につき」のノベライゼーションではなく、一編の新作としてこの世に送り出したかった。新キャラクター「マトリの女」をはじめ主人公や敵役、脇役に至るまで相当の取材を重ね書き込みをおこなった。

シネスコの手持ち画面が激しく揺れる深作・現代アクションを夢見て、何本ものプロットを書き上げた。
そして、何本目かのプロットが監督の琴線に引っかかった。
タイトルは『灼熱』(「その男、凶暴につき」の原型)
しかし、その後多忙を極める監督も野沢も別の映画作品スケジュールへと向かうことになった。

1年後の再会。
その頃、作品タイトルは『その男、凶暴につき』に落ち着いた。
そして、ビートたけしさんが初主演に決まった。
同時期、結局スケジュールの合わない深作監督は作品を離れ、ビートたけしさんが監督を兼ねることになった。
ある程度の改定後、「あとは現場にまかせてほしい」とプロデューサーの一言で脚本を手放すことになった。
自分の作品をわが子のように思っていた野沢にとって、とても辛いことだったと思います。

北野たけし監督作品を観て帰ってきた日。
「自分の脚本をズタズタにされたことはやっぱり耐えられないけど、北野たけしは天才だよ。悔しいけど傑作だったよ」と言った。
野沢の表情を見たら、何も声をかけることが出来ませんでした。

結局、お互いのスケジュールや諸条件が合わず、深作監督との仕事は実現しませんでしたが、この出来事は、後に野沢を作家へと動かすきっかけの1つになりました。

2003年1月12日、深作監督は永眠されました。
空は悲しげに灰色の雲が立ち込め、時折かすかに小雪が舞う寒い日でした。
すすり泣きが響く築地本願寺の境内で、野沢と2人で合掌し、消えていく霊柩車を見送りました。
私の頭上から野沢の声を殺して泣く音が聞こえました。私は顔を上げて野沢の表情を見てはいけないと思いしばらくの間、じっと涙でゆがんだ足元を見つめていました。(深作監督は私たちの結婚式でもスピーチをしてくださいました)

烈火の月単行本の奥付を監督の一周忌命日の2004年1月12日にすることにこだわったのは、深作映画の脚本家は、監督に殺意さえ覚える・・・そんな濃密な仕事をご一緒したかったからでしょう。

単行本出版から5ヵ月後、私は同じ築地本願寺で、あまりに短い人生を生きた野沢を見送りました。
天国で深作監督に逢えたのでしょうか・・・


2007-01-04 11:50  nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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がっさわら

確かに、脚本家にとって「自分の脚本をズタズタにされた」ということは、嫌なことだったでしょうね。
内輪の話になりますが、実は私も、幻の名作『昭高大パニック』で脚本をズタズタにした前科者であり、後に野沢氏から「あの時は腹が立っていたんだゾ」と言われ、数十年ぶりに笑いながらも謝ることになりましたが、今一度謝罪をしたいと思います。

それにしても、映画、小説、ともに内容は「凄まじい」の一言。
受け取る側もかなりのパワーを必要とする作品なんて、なかなかあるものじゃありません。
by がっさわら (2007-01-06 13:41) 

野沢

がっさわらさん
もう時効です^^
枕を高くしてお休みください^^
by 野沢 (2007-01-08 18:08) 

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