『ラストソング』本日発売 [小説]
『ラストソング』本日発売です!
創作活動に携わる人々の多くは
誰か(愛する人々)のために
作品を生み出しているのではないでしょうか
野沢もそうでした
身近な人間(家族)をとおして
多くの視聴者、読者にメッセージを伝えていたと思います
『ラストソング』は
そんな思いが強く込められた作品です
あと数年で
子供たちは主人公と同じような青春時代をむかえます
きっといろんなことに悩むでしょう
そんなとき
『ラストソング』を読んで
野沢(父)の思いを感じて欲しいと願っています
父親の存在そのものとして残された作品に感謝しています
2008-02-15 00:29
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コメント(5)
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ラストソングを読み終えて二週間が経ちました。
野沢さんの作品は後からいつもじわりじわり来るのですね。
その訳をじっくり考えてみました。
序章19ページ、八住修吉にあの時出会っていなかったら……から始まって次ページの、手繰り寄せられていたんじゃないだろうか。
そこが僕にとっての物語の芯でした。
やはり「運命」それが物語に織り込まれているから、野沢さんの作品は虚構のように感じないのかもい知れません。
西の空を見ていると、リコがいる気がしてしまいます。
やっぱり野沢さんは天才ですね。
出版に際して多くの御苦労があったと思います。
お疲れ様でした。
そして、物語を通して、人としての温かみを届けてもらったことに感謝します。
ありがとうございました。
by ナツ (2008-02-29 15:16)
1996/3/18赤坂のマンションで全裸で死んでいる息子が発見されました。21才10カ月の命でした。次男が兄ちゃんはこの映画が好きだったといって借りてきたのが「ラストソング」で次男と遺影とでみました。彼の部屋には扶桑社文庫の「ラストソング」が残っていました。2006/7/14彼の死因は「パロマ湯沸器による一酸化炭素中毒」ということが経済産業省・警視庁から発表され法律の改正等につながりました。彼はギタリストでしたので10年間の念願だった追悼ライブを2008/11/11に松江で行いました。追悼ライブは「ラストソング」としました。彼は俳優の大浦龍宇一と親しくしていたのと本木雅弘さんとも面識がありお二人からメッセージをいただきました。音楽仲間もたくさん参加してくれ次男のサックスを加え「ラストソング」も演奏しいい追悼ライブができました。いまも私の手元には文庫本「ラストソング」があります。
by 松江の山根 (2008-05-09 23:47)
ナツさま
コメントありがとうございます。
私はうっかり見落としてコメントを返すのを忘れていたようです。
お許しください。本当に失礼ですよね・・・。
「ラストソング」購読くださったのですね。
ありがとうございます。
こうして感動してくださる方がひとりでもいたら、苦労も喜びに変わります。書籍は時代を超え世代を超えてこの世に存在すと思うとすごいなって思います。みなさまのおかげで最近その思いを強く感じております。
by 野沢 (2008-05-10 01:37)
松江の山根さま
コメントを読ませていただき、何と申し上げて良いのか言葉がみつかりません。軽々にコメントを返していいものか・・・。
ただ愛する人を亡くしたという部分ではいかほどの悲しみか、心の痛みかを理解できます。
息子さまが、この『ラストソング』が好きだったことは本当に嬉しいです。
書籍までお買い求めいただき読んでくださったなんて本当にありがたく思います。
野沢はギタリストではないから、音楽を目指す人たちの心を十分に描けているか気にかけていた部分がありました。ですからギタリストだった息子さまから評価していただいて、気に入ってもらえたなんて野沢が知ったら大喜びしたはずです。こうして文字にすることはお辛いことだと思いますのに、お知らせくださいましてありがとうございました。
新聞やニュースで拝見した事件ですが、その当事者のお父様とこうして言葉を交わすことは不思議な気持ちでおります。
21歳という年齢をみて心が痛く涙がとまりませんでした。私にも18歳になる息子がおりますので・・・。
勝手なことを申し上げて失礼でしたらお許しください。
息子さまは明日の成功だけを見つめて夢いっぱいの充実した毎日を送っていたと思います。短かったかも知れないですがとても輝いた人生だったと思います。
息子さまの記憶と共に『ラストソング』があることを光栄に思います。
今日から『ラストソング』を思うとき、私の記憶には息子さまが共にあります。
息子さまのご冥福をお祈りいたしますと共に、ご家族さまの心の平穏を願っております。
by 野沢 (2008-05-10 01:38)
先日の投稿に対して温かい言葉を書いていただきありがとうございました。敦は1994年に「ラストソング」劇場版を4回見たようです。友人を呼ぶ時「稲」「葉」「一」「矢」のまねをしていたそうです。地方からプロのミュージシャンを目指して上京し活動する熱い思いが「ラストソング」で伝わっています。「ぐずぐずしてたら爺になるぞ」「天下をとってやる」まるで
敦そのものです。1995はそれまでの仲間と離れて一人のギタリストとして活動し大浦龍宇一さんのバックギタリストをしていました。「ラストソング」の人間関係といっしょです。1995の秋、本木雅弘さんに紹介され「君が山根君か。がんばれよ」と声をかけてもらい、彼にとっては「ドラマがここにある」と思えたのではないでしょうか。私にとっては、時々上京する時に「けんぼう東京に連れて行ってやろうか。」「小倉・下関・・」のフレーズがいつも思い出されます。東京の喫茶店の片隅で「ラストソング」を読みながら涙が出てきます。
その作者の野沢尚さんが亡くなられていたのを知ったのはこの3月のことでした。青春の熱い思いや挫折をみごとに伝えてくれた「ラストソング」をありがとうございました。
by 松江の山根 (2008-05-12 00:23)