映画館に翔ぶ赤い風船の謎【2】 [「映画館に、日本映画があった頃」]
>>>1月9日の続き
映画館に翔ぶ赤い風船の謎【2】
そして92年初秋。
深作アクションがスクリーンに復活した。
この映画を見るのは2度目である。今年1月末、監督のお誘いでゼロ号試写を見せてもらった帰り、乗せて戴いた監督の車の中で、監督本人には感想を言ってある。
9月14日、公開3日目の渋谷松竹セントラル3時の回、今回再見して、改めて気がついたことを書いてみようと思う。
もう10年だつが、僕が大学生の頃、日本のアクション映画は松田優作十村川透十仙元カメラマンのトリオが席巻していた。『蘇る金狼』『野獣死すべし』といった作品である。ワンシーンワンカット、あるいはツーシーンワンカットという長回しの中で、俳優の肉体や呼吸や生理を同時間的に追いかける手法を取った。
これらの作品が与えてくれたインパクトは大きかった。
しかし、今思うと、あの頃のアクション映画を支えていたのは、松田優作・・・・・という俳優の肉体だったような気がする。ワンシーンワンカットでは一瞬たりとも肉体の弛緩は許されない。疾走と緊張を持続できる肉体。松田優作の後継者は未だに登場していない。
あれはゲリラだったのだ。東映のB級ピクチャーから始まったゲリラ的な活劇の魅力だった。アクション映画の王道とは、俳優の肉体に頼るものでは、本未ないのではないか。
活劇を支えるものは、カッティング。
それを明快な形で教えてくれたのが、今回の『いつかギラギラする日』である。
短いカットを積み上げ積み上げ、見る者の高揚を喚起させる・・・・・・いわば、精神医学的、生理学的なものに裏打ちされた技術である。
このコマと繋げるより、こっちのコマと繋げた方が見る者はきっとキモチいいだろうな……という編集段階の試行錯誤が、アクション映画の醍醐味を産んでいく。
今回の深作アクションの編集は見事の一言に尽きる。ウォルター・ヒルの映画なんか、映画の出来はともかくアクション場面のカッティングにはいつも興奮させられる。『48時間』や『レッドブル』のクライマックスなんて、編集テクニックだけで見せきった、と感じるぐらいだ。
あの水準に日本映画もやっと辿り着いた。
>>>続く
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