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映画館を出て、楽勝ですよ久世さん、と呟く [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館を出て、楽勝ですよ久世さん、と呟く

 ここに『満月』についての2本の脚本がある。1つは、シナリオ誌10月号に掲載された松竹映画のもの。もう1冊は、2年前にテレビドラマ化のために僕が書き、久世光彦さんが演出予定の脚本である。
 映画化が終わらないとテレビ化できない、という著作権者の意向で、僕の脚本はずっと寝かされたままである。だから、僕は松竹映画『満月』の公開を誰よりも待ち望んでいた。
 さあ、これでやっと『満月』のドラマ化は始まるのだ。それだけが、今、嬉しい。
 とまあ、そういう立場にいるので、映画『満月』についての感想は、勢い、批判的になってしまう。
 はっきり言わせてもらうけど、9月26日に新宿ピカデリーで、ほぽ一割程度の観客たちと見た『満月』は、無残なほどではないにしても、駄作だと思った。

 もし僕が担当しているシナリオ作協のシナリオ・ゼミにこの脚本が出されたとしたら、たっぷり1時間かけて、赤く線が引かれた疑問箇所を一頁一頁めくりながら、作者を問い詰めてやるところだろう。
 大きな欠陥について2点、言わせてもらう。
 侍が現代にやってくる。女教師のヒロインが川原で遭遇する。ヒロインは酒に酔っていて、その出会いについては前後不覚である。翌朝、勤め先の学校でやっと「変な恰好の男が夕べ……」と思い出して慌てて家に戻ると、同居している祖母が侍を丁重にもてなしていた。この侍は300年前からタイムスリップしてきた男であることを、祖母はいとも簡単に理解していて、我が家の大事なお客にしている。
 何故、あの祖母は、自分は侍だと名乗る胡散臭い男を家に上げたのだ?
 ここは原作通りの展開である。原作では、人生を達観している祖母のキャラクターがとてもデリケートに扱われていて、読者にそうした疑問符を与えないほど不思議な魅力がある。
 だが、そのまま何の工夫もせず脚色しても、観客を納得させられないことは、よく考えれば分かるはず。小説の文字世界とは違い、映画では祖母の文学的キャラクターも全て生々しい映像世界に投げ込まれてしまうのだ。
 ヒロインが「タイムスリップは実際に起こったのだ」と現状認識するのは、この祖母が媒介となる。大事な役どころなのだ。映画では、加藤治子さんの存在感と貫禄ある演技で『橋渡し役』を乗り切ろうとした。が、説得力はやはりない。登場人物は都合よくタイムスリップという問題を飲み込んでしまった。
 僕の脚本作りで辿り着いた結論はこうである。この侍は祖母にとって、長年逢うことを楽しみにしていた初恋の男性だったのではないか?

 中盤から後半にかけて、待とヒロインは逃亡者になる。待の存在が写真週刊誌に暴露されて、雪山を逃げる2人をテレビカメラがヘリで追いかけてくる。
 いかにもこの監督らしい発想だな、と思った。クライマックスの忍者アクションもそうだけど、新宿ピカデリーの大画面で見せる映画には、このぐらいのスケール感が必要なのだと、待ち前の娯楽映画精神をいかんなく発揮したのだろう。
 満月の前を滑空していくシーンは、それなりの情感はあるし、ま、かろうじて許せる。が、中盤の『スターマン』的展開は、一体どういう意味だろう。
 刀よりも怖い現代の魔物が二人の愛を引き裂こうとする……という狙いは分かる。それを徹底して描いてくれるのなら、原作にはなかったサスペンスを物語に与えることになるだろう、と期待した。
 だけど、実に恐ろしいはずのその追跡者は、雪山から姿をくらまして炭焼き小屋に逃げた待を半年近く発見できないのだ。オイオイ、そんなマヌケな話があるか? この処理はイイ加減すぎないか?
 つまり、こういうことなのだ。
 侍とヒロインの1年の恋路を描く原作では、冬から夏にかけてのこの部分が、もっともテンポが緩くなる。「ここらでパアーツとしたことやっておこうかな」という発言がホン作りの席であったかどうか知らないけど、とにかく「ここらで」劇的展開が欲しかったのだ。ひょっとしたら、ヘリに追われる侍とヒロインの姿を空撮で撮りたかった、ということだけかもしれない。ありうる。
 僕はこう思う。『満月』において2人が辿る1年の恋路は、1つの季節を越えるごとに深まっていく繊細な感情の揺れ動きを、丁寧に描いてこそ感動的なのだ。
 1年後の中秋の名月に侍は帰っていく。その定められた運命と格闘することもあるだろう。だが、その格闘とは、雪山を手に手をとって逃避行することでもまく、黒づくめで天守閣から刀を奪回するカタルシでもないような気がする。
 でもまあ、原作者も許諾してこういう脚本が作られたのだから、他人の作家性についてとやかく言ってもしょうがないか。この作家は、007的展開を加えることによって、原作を自分の世界に引き寄せたのだから。


 他にも言いたいことは沢山ある。
 前半、ヒロインのナレーションがやけに多くて説明的に筋書きを運ぼうとするところ。ロードムービーとして見せたいんだろうけど、観光映画にしかなってないところ。ヒロインが自分のセックス体験を語るところがとんでもなくキモチ悪かったりするところ。侍が300年前に残してきた妻に対して、どういう感情を抱いているのか分からないこと。大体、ヒロインから貰った写真入りのペンダントを、妻の待つ300年前に喜んで侍って帰るこの男の神経が信じられない、それをプレゼントする女も女だと思う……等々。


 この映画を見てしまった観客の皆様へ。
『満月』という物語は、実はもっと面白く、感動的です。1年後か2年後にそれを証明します。それ
まで題名だけ覚えておいて下さい。あとは忘れて下さい。


 原作のファンの皆様へ。
 僕も実は、原作をちょっと変えました。でも安心してください。007はやりません。
 現代で女と共寝すると300年前に戻ってしまう・・・・・・という原作の大事なカセを、180度変えせてもらいました。変えたことにより、意外な面白さが出てきたのです。大丈夫。僕を信じてください。


 久世さんへ。
 我々2番手としては、ファイトの湧かない映画でした。我々の力をもってすれば容易に越えられるハードルです。


 この映画を監督した人へ。
 僕はあなたの映画をほとんど見ています。ただしファンではありません。大きなお世話でしょうけど、そろそろ脚本家と組んで仕事をした方がいいんじやないですか?
 でも、キングギドラ、期待しています。皮肉ではありません。東宝チャンピオン祭で子供時代を過ごしてきた僕は、ゴジラとキングギドラのサシの対決を、もう20年以上夢見てきたのです。期待に応えて下さい。応えてくれなかったら、また怒ります。

 


2007-10-29 06:21  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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