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映画館にて、父親は悩む [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館にて、父親は悩む

 この映画を見たい、この映画を見なければいけない、そんな思いに突き動かされて映画
館に足を運んだなんて何年ぶりだろう。
 6月24日の日曜日、新宿シネマアルゴ。
 私事で恐縮なんだけど、その三週間前に長男が産まれ、あと二週間もしたら女房の実家
から赤ん坊がウチにやってくるという時である。
 これからどんな父親として子供と接すればよいのか、子供からいくらかソンケーしてもらえ
る父親になれるだろうか、いや、まず子育てってやつとちゃんと向き合うことができるだろう
か……。
 根が真面目なので、こういう人生の節目ってヤツに直面すると、ついつい考え込んでしま
うのだ。
 で、『良いおっぱい悪いおっぱい』である。
 前号から断っているけど、今から書くのは映画批評なんていう大それたものではなく、た
だ1600円払った観客の雑感である。
 子育てのハウツー映画という先入観があったから、二週間後からの生活に何か参考に
なる情報が得られるのではないかと、そりゃもう期待に胸を膨らませて夕暮れの新宿の街
を歩いていった。こんな純粋な動機で映画館に入った客は、おそらくあの夜の客たちの中
でも僕ぐらいなモンだろう。
 ロッポェカ時代と比べると満員御札に見える客席には、何やら若いカップルが目につい
た。
 彼らはどうしてこの映画が見たいと思ったのだろう、と、『最も純粋な客』は考えてしまう。
 妊娠と出産が今トレンドなんだろうか。
 映画館を出たら、三越裏の居酒屋で「僕たちも楽しい子育てしようか」とプロホーズしたり
するんだろうか。


 映画が始まった。
 主人公の男が風呂に入っている。煙草を吸っている。煙草の灰を空き缶に落としたりし
て、何やらぼんやりと物思いにふけりながら、やがて煙草をくわえたまま湯船にドブンと
消えた。
 次のカットで、湯船からプカッと浮き出てくる女房の姿に繋がる訳だけど、トップカットで
煙草をくわえたまま湯船に消えた男の意味は解きあかしてくれない。
 この男の奇妙さは、結局ラストになってもただ奇妙なままだった。
 この映画の監督や脚本家に全うことがあったら、このトップカットの意味について聞いて
みたい。
 ま、いいや。
 細かいことだから。
 僕は画面に釘付けになる。
 何たって、子供が産まれるまでのこの夫婦の状態は、自分もついこの間まで体験してい
たことなのだ。
「あったあった」とか「そうそう」とか「こんなに甘くはねえよ」とかいう感想を抱きながら映画
と向き合う。
「なんで子供なんか作ったんだろう」と主人公が呟くと、奥さんが「やめたら、そういうこと言
うの」とたしなめるんだけど─────
 あんな言葉を投げかけといてその程度の喧嘩で済むんなら楽だよな、と思ったりする。
 この映画を面白いと思うかつまらないと思うかの境目は、客がちゃんと「くすぐられる」か
どうかにかかっている。
 起伏のあるドラマではない、日常感覚の積み重ねが勝負だ。豚毛の筆で客の脇のした
をコチョコチョくすぐって、客がちゃんと「うふふ」と笑ってくれるか`どうか、にかかっている。
 客席はわりとくすぐられていた。
 分娩室で主人公の男が動揺して、助産婦に「退場」と言われてしまうシーンなんか、僕も
ウケたし客もウケてた。
 だけど。
 あまりの激痛に「もういや! こんな赤ちゃんいらない!」と叫んだら、助産婦に「じゃ、
病院で赤ちゃんもらいますよ!」と言われ、「いや!! やめてえ!」と絶叫したというウチ
の奥さんの話の方が面白いような気がする。
 同じテンシ日ンの「くすぐり」が続くと、1度くらいバカバカしく笑わせてほしい、と思ったり
する。
 で、赤ん坊と暮らし始める後半の部分だが、自分の近い将来と関わることだけに、見る
方はそりゃもう真剣だ。
 ああやってオシメを千すのか、とか、ああやって風呂に入れてやるのか、とか、赤ん坊
ってあんなにうるさく泣くのか、とか、いろいろ勉強しながら見ていると、正直いって、「それ
に振り回されるのがどうして楽しいんだろう」と、育児をひたすらエンジョイする主人公が何
だか嘘臭く思えてきた。
 何たって、燃えてる煙草をくわえながら湯船にドブンする男である。
 奇妙な個性を待っているこの男の奇妙さが明らかになってくれないと、子育てという日常
に奮闘する主人公に心から共感することはむずかしい。
 この男、どういう親の手で子育てされたのだろうか。
育児書の数値をスラスラ暗記できるのは職業柄なんだろうか。あの熱意の奥には何があ
るんだろう。二人目の子供がデキたと分かって歓喜するこの男には、不安や覚悟といった
感情は無縁なのだろうか。
 そういうモロモロが理解できないのは、僕のヨミが足らないせいなのか。
 それとも、この主人公のように明るく朗らかに子育てに奔走するのがフツウの父親で、そ
の気持ちや行動が理解できない僕は父親失格なんだろうか。
 とにかく6月24日の帰り道、僕は深く考えさせられ、首をかしげっぱなし、足取りは決し
て軽いとは言えなかった。


 そして現在-赤ん坊が東京の我が家にやって来て1ヶ月近くになる。
 僕はあの主人公のように、夜泣きの子供に率先してミルクを作ったりしないし、オシメは
たった一度替えたっきりだし、『エクソシスト』のリーガンのようにゲロを吐きかける子供にも
八つ当たり一つせず服を替えてやるウチの奥さんをひたすら尊敬するばかりである。
 ウチの赤ん坊は可愛い。世界で一番可愛赤ん坊かもしれない、と思ったりする。
 親馬鹿チャンリン。
 よしよし、俺は正常な父親だ。
 この映画、ビデオが出たら家族で見てみようと思う。
ウチの奥さんの感想が今から想像できる。カノジョはきっとこう言うだろう。
「すてきな妊娠、楽しい出産だあ?」


2007-08-20 01:49  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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