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映画館を出ると、映画にふさわしい夕暮れだった [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館を出ると、映画にふさわしい夕暮れだった

12月22日、シネマアルゴ新宿の『ヌードの夜』2時40分の回を見て外に出ると、薄暮の南新宿の街があった。
 曇天の割れ目から、淡いタ暮れの光が落ちていた。
 傑作だったなあ、と思った。
 闇を縦に横に走るネオンパイプが目に焼きついている。キズだらけの男と女の抱擁が、しばらく記憶の底に澱みそうな気がする。
 脚本を読んでみる。
 とても描写が丁寧な脚本だった。脚本と監督を兼ねる人のホンというのは、概して淡白なものである。監督するのは自分なのだから自分だけが分かっていればいい、細かいことはスタッフ会議で説明するつもりなのか、あまり書き込まれないホンであることが多い。
 本誌2月号に掲載された脚本が完成台本でなく決定稿だとすれば、石井さんは本職の絵筆のように、1行1行、丁寧に物語を紡いだろう、と思わせる読後感があった。
 が、それでも映画には欠点があったように思えた。
 村木が名美の何に惚れ、死体の始末までしてしまったのか。何故、警察に事情を話せなかったのか。そのあたりの展開には無理がある。
 名美が平凡な結婚をしようとしているバツイチの男がうすっぺらである。この程度の男と結婚することが、腐れ縁の男を殺してでも遂げたい目的なのだとすれば、彼女にどういう男性観や人生観があるのか、もう少し知りたい気がする。
 「男なんて所詮こんなもんよ。だけどアタシは結婚するの。アタシはそれで幸せになれるの」という女の業がもっと匂っていたい。ただし、僕にはこれまで石井さんが作り上げてきた名美像というものに疎いので この指摘は当たっていないかもしれない。
 一応ケナすところはケナしたので、あとは絶賛の嵐といこう。

 この映画の良さは一口で言うと、情念の女と妄執の男が血みどろの抱擁に至るまでを、論理的整合性などというものはかなぐり捨てて一点突破で描ききった点だと思う。
 その作家的情熱の前では、先に挙げた二つの欠陥も致命的にはなっていない。
 ラストで名美は死ぬ。死んだ名美の塊が村木の部屋を訪れ、2人は結ばれる。事後、名美は血まみれの姿でベッドで横だわっている。救急車を呼ぼうとして、ふと振り返ってみると名美の姿はなく、ベッドには血溜まりがあるだけ。村木は茫然と立ち尽くす。
 こういうシーンは、シナリオ教室でつまらない論理的整合性を叩き込まれてしまった新人脚本家には決して書けない。僕だって書くとしたら勇気を要するだろう。
 亡霊との交歓。という風にくくってしまってもつまらない。村木の幻影、あるいは夢オチという風に描きたくもない。その中間線て、下らない説明はせず、敢えてあやふやなタッチで、それでいて叙情的に終わらせる。こういうことができるには余程の才能が必要なのだ。
 映画という娯楽で肝心なのは、スクリーンと観客の間を埋める『説明』などではなくで両者の間の『空気』なのだ、ということを僕は改めて勉強させてもらった。
 
 村木が名美を救うために拳銃を手に入れようとする。街のヤクザに頼むが金を持ち逃げされる。同級生のオカマに頼むが、袋叩きにされる。このオカマの同級生の豹変ぶりも絶品だが、1丁の拳銃を手に入れるまでにこれほどまでに苦労してズタボロになる主人公を、僕は日本映画でかつて見だことがない。
 そして、やっと手に入れた拳銃を試し撃ちする時の高揚感。その劇画的カッティングの素晴らしさ。
 何より美しいのは、名美を救い出した後の、雨の埠頭のシーンだ。
 コンクリートの橋脚が彼方に並んでいる。画面はゆっくりゆっくりトラックしながら、村木と名美の会話を常にロングで捉えている。
 これはアント二オーニだ、と思った。モニカ・ビッティとアラン・ドロンが『太陽はひとりぼっち』で彷徨う都会の荒涼を、この曇天鉛色のシーンに感じた。
 凄いのはこの後である。
 名美が車ごと海に突っ込む。カメラは海側にある。その手前に車が飛び込む。そして埠頭を追いかけてきた村木がダイビングして名美を肋け出そうとする。
 このカットを漫然と見過ごしてはいけない。
 この映画の撮影スタッフはかなり凄いことをしている。だって、海面で待機しているカメラに、ひょっとしたら車が突っ込んでくるかもしれないのだ。命がけの撮影だ。
 佐々水原さんというカメラマンが、ここまで映画に身を捧げるスタッフたちが、怖い。
 こういう仕事を見てしまうと、『車が埠頭を飛び出し、空を飛んで水しぶきを上げて海に突っ込む』なんてト書きは、ちょっとした筆の勢いでは書けなくなる。この1行でスタッフが命を落としたらどうしよう、と怖じ気づいてしまう。
 映画のエンディング・シーンで、僕は変な邪推をしてしまった。
 車が引き上げられる。クレーンによって海から上がってくる車から、死体の入ったトランクがドライアイスの煙を上げている。画面はロール・クレジットを流しながら、車に近づいてゆく。
 もしかしたら。
 名美がそこにいるんじやないだろうか。
 村木はあの時、名美を救出することはできなかった。その後の展開は全て、彼女を助けられなかった村木の幻想ではなかったのか。
 結末に胸加高鳴る。
 画面は最後、車のドアからからはみ出している名美のワンピースでストップする。
 やっばりそうだ! と僕は一瞬歓喜した。………が、それはヌカ喜びだった。
 脚本を読むと、それは破れたワンピースの切れ端に過ぎないらしい。
 こんな勘違いを僕にさせたのも、映画に一時たりとも油断できないような面白さがあったからだろう。

 最後に、93年総括の意味で。
 邦画ベストファイブ。今年見た日本映画は22本。

①お引っ越し
②ヌードの夜
③病院で死ぬということ
④夜逃げ屋本舗2
⑤僕らはみんな生きている

 高齢の批評家には評価の高い『学校』は見ていない。世代を問わず評価の高い『月はどっちに出ている』はもちろん見たけど、僕にとっては、この5本の方が面白かった。
 ①については以前に書いた通り。
 ②については前述の通り。
 ③は、何度か挿入される『人間の営み』のスケッチに作りの作為を感じたが、あとは重量感に圧倒される。ラストのナレーションでぼうだの涙になってしまった。
 ④の映画については、あの演出のメジャー感覚と脇役たちの妙を、どうしてみんなもっと評価してあげないんだろう、と思う。
 ⑤は、ああいう冒険を経てもちっとも人間的成長をしないヒーロー像に、一色選手らしさを感じた。

では、94年の日本映画は『ラストソング』で威勢よぐ始まってもらいましょう。


野沢尚著書より







2008-12-08 01:00  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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