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映画館に何故、現代がないのか [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館に何故、現代がないのか

 連続ドラマのの最終回がてこずって、机の横にはまだ、井上陽水の主題歌と劇伴のサウンド・トラックが並んでいる。
 ラスト2本の原稿をバイク便で送って、明後日の最終打ち合わせまで時間が空いたので渋谷に『ザ・ファーム/法律事務所』を見に行った。
 原作はすでに読んでいた。この映画は脚色仕事の手本だと思った。脇役にジーン・ハックマンを配した時点で原作から膨らませた展開、夫婦劇として原作より厚く描いた部分、そして何よりも、原作における、地の果てに逃亡した主人公夫婦の冒険ロマン的なエンディングを、広い観客層を納得させるため、家庭回帰に改変したラスト―――『チャイナタウン』を書いた脚本化も、『コンドル』を書いた脚本家も、やはり只者ではなかった。
 もし高村薫の『マークスの山』の映画化権が取れたら、こういう脚色仕事を目指そうと思った。
 
 夏の日本映画は例によってファミリー・ピクチャーで、大人の興味をそそるものがない。
 唯一目が向いたのは『ちぎれた愛の殺人』・・・・・・早速、前売り券を買ってテアトル新宿へ出掛けた。『羊たちの沈黙』が公開されてから、サイコスリラー・ブームである。本屋の文庫コーナーを見ても、各社から猟奇犯罪をテーマにしたミステリーが所狭し並んでいる。おそらく、ほとんどが駄作
だろう。『羊たちの沈黙』以降で面白かったのは、ジェームス・エルロイの『ブラック・ダリア』とディヴィット・マーチンの『嘘、そして沈黙』ぐらいなもんである。
 和製クラリスと八二バル・レクターを思わせる『ちぎれた愛の殺人』のポスターだけど、大丈夫だろうか。
 10日ほどで書かれた脚本らしいけど、大丈夫だろうか。

 海鳥が乱舞する海岸に腐乱した女の死体が上がる。
 そのニュースをテレビで見ている佐野史郎がいる。奥さんと朝の会話をしているが、当の奥さんの姿は画面に見えない。この種の映画に慣れている観客なら、佐野史郎の役はおそらく『サイコ』パターンの二重人格であることは、この出だしから予想がつく。
 佐野史郎の愛人である教え子の女子大生が投身自殺して、横山めぐみ女刑事が登場する。
 実はこの女刑事の学生時代の友人も、佐野史郎の教え子で現在失踪中である。慣れてる観客なら、冒頭に出てきた腐乱死体の主は、どうやら女刑事が探している友人であろうことはピンとくる。
 女刑事は佐野史郎を張り込む。ある晩、屋敷から後ろ姿の女が出てくる。尾行する。女はレズバーに入っていく。
 慣れていない観客でも、その女が女装した佐野史郎であることは勘づく。依然として勘づかないのは劇中の女刑事だけである。
 ここら辺から、この種の映画が好きな僕はだんだんじれったくなる。
 女刑事はその謎の女を見失う。女刑事と行動を共にしていたガサツな相棒の責任である。女刑事は「あんた何やってたの!」と怒鳴る。すると相棒は「やってらんねえよ!」と怒鳴り返して、彼女と決裂する。
 謎の女を取り逃がしたのは、どう考えてもこの相棒の責任である。張り込み中でも肉マンをパクついている役立たずだ。
 作り手はこの男側の論理を描かない。後に、女刑事と別行動をさせ、この相棒を犯人に殺させるため、とにかくこの段階で決裂させたかったんだろう。
 さて、また例の後ろ姿だけの女が屋敷を出てくる。女刑事は追跡する。渋谷の街を車と競争する。
 元陸上選手の横山めぐみが得意技を披露する。確かに彼女の疾走する姿は美しい。
 謎の女は飛行機に乗る。女刑事も追いつき、同乗して出雲まで飛ぶ。
 僕が女刑事なら、飛行機の中て乗客のフリをして謎の女の顔を覗きこむだろう。見た途端、あっやっぱり佐野史郎の女装だ!と分かるに違いない。
 しかし女刑事はそれをしなかった。
 この映画の作り手としては、もうしばらく謎の女の正体を謎のままにさせときたい。女装の先輩である『殺しのドレス』のマイケル・ケインと比べると、隙だらけの犯人なのに。
 で、一方、女刑事と決裂した相棒が佐野史郎の屋敷に潜入する。地下室の冷凍庫にバラバラ死体を発見する。そこで相棒は、真犯人に殺される。
 わりと意外な展開である。僕も少し驚いたけど、頭の整理をすれば、どうやら『サイコ』パターンの犯人像は作り手のカモフラージュで、佐野史郎の奥さんは現在も生きていることが分かってくる。
 一方、女刑事は地元の刑事から、出雲でもバラバラ死体が上がったことを知る。そこではじめて、彼女は失踪した友人がその死体ではないか、と直感する。事件はすでに全国放送のテレビで流れている。失踪した友人のことがそんなに気になっていたのなら、ニュースを聞いた時にピンときたはずだ。
 忙しくてニュースを見ていなかったんだろうか。
 さて、謎の女は夜の断崖から、クール宅急便で運んだバラバラ死体を捨てる。女刑事はそれを目撃して追跡する。女が逃げた先の家から佐野史郎が出てきてビックリする。
 女刑事はそういうあれこれにかまけて、崖から捨てられた死体について即刻地元警察に通報することを怠った。その遅れが、翌日、佐野史郎を取り逃がすことになる。
 そろそろ僕は、この女刑事のノウタリンぶりが耐えられなくなってくる。
 ともかく、女刑事は東京に戻る。佐野史郎の屋敷の地下から、死んだ相棒を発見する。狂った犯人とも対面する。真犯人である佐野史郎の奥さんは狂人だった。佐野史郎は奥さんの犯罪を隠蔽するため、いろいろ仕組んだという。
 だけど、ここがどうもハッキリしないんだけど、奥さんの死体を前に男言葉と女言葉を交互に口走る彼も、どうやら奥さん以上の狂人のように見える。しかし彼は、女刑事に氷柱で喉を突かれて絶命する間際、また常人のごとく犯行の解説をしていた。
 夫婦共々狂っていた・・・・・と解釈した方が面白く、どういう狂った夫婦生活があったのか、むしょうに知りたかった。
 えーと、だから犯行の動機は……出雲の神様を鎮めるために生贄として女たちをバラバラにした……と、いうことことか?
 10年以上前の横溝ミステリーの動機だ、それじゃまるで。

 去年、佐野史郎が冬彦さんをやった。おかけで同時期にやっていた僕のドラマはかすんでしまって悔しい思いをした。冬彦さんの造形は、いかにも刺激好きな視聴者に巧みにおもねた嗜好品だったと思うけど、よくも悪くも、今の時代の空気は背負っていた。
 キャラクターの幼さが、現代人そのものの幼さである……という観点で見れば。

 で、今、この役者の使い方が、どうして神主の末裔なんだろう。
 どうして映画は現代を背行わないんだろう。
 どうして今更、横溝ミステリー的キャラクターで勝行するんだろう。
 そういうスリラーの作り方をウェルメイドと呼ぶんだろうか。
 僕も2年前、この映画とカラーは違うけど、ウェルメイドなミステリー映画を書いた。その反省もこめて、こう思う。
 映画人はテレビドラマの薄っぺらさをよく引き合いに出すけど、その薄っぺらなテレビにも負けている。自分の趣味性だけで銀幕を商売にしていては、時代は先へ先へと行ってしまうんじやないだろうか。




2008-10-14 05:07  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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