映画館に、5分の失望と5分の願望 [「映画館に、日本映画があった頃」]
映画館に、5分の失望と5分の願望
小説450枚を書き上げ、これから身近の信頼できる読み手に渡し、感想を仰ごうとしている9月14目である。
酷暑の季節もやっと終焉、秋雨が霧吹きのように灰色の空から舞い落ちている。志水辰夫の新作短編集にボロボロと泣き、4年前のミステリーベスト1作品の表現力に唸り、小説の世界には超えなきやいけない、この人を超えなきや活字の世界でメシなんか食えない、と焦燥感のように痛感させてくれる人が実に沢山いる。
と先月に続いてジリジリするような襖悩を抱えつつ、新宿シネマアルゴに石井さんの新作『天使のはらわた・赤い閃光』を見にゆく。
名美と村木の物語である。
2人の世界については僕はそれほど詳しくはない。過去の作品群も見た上で感想を語るのが筋かもしれないが、独立した作品群として見させてもらった。
これから書くことは映画の謎とき部分に触れるので先々、映画館やビデオで見ようと思っている人は、あとの文章を読まないことをお勧めする。
映画はピンク色した肉の丘陵から始まる。ヒロインの唇である。以後、主演の川上麻衣子の白い肉感がこの映画を支配してゆく。それは圧倒的な官能美だった。男を肉で包みながら、果てようとする瞬間に拒絶するような狂おしい魅力に溢れている。
触れてみたい。そう思わせてくれる肉体の力だった。
映画は20代後半の、男のいない雑誌ライター・名美の何の変哲もない日常から始まり、村木の登場と呼応するように名美のトラウマヘと描写は踏み込んでゆく。
高校生の頃、通りすがりの男に犯された。
以来、彼女はセックス恐怖症となり、恋をして男とベッドを共にしても、クライマックスになると男に殴りかかるという暴力的な奇癖に悩まされる。
回想で出てくる強姦魔がいかにも皮ジヤン風のアウトサイダーなのが興をそぐが、自分の暴力によってセックスを成立させられないというヒロイン名美のキヤラクターにはゾクゾクと期待を抱かせる。
名美は行きつけのスナックのママに誘われ、レズ関係になったりするのだが、ある夜、泥酔した際に行きずりの男にホテルヘ連れ込まれて犯される。ところがブラックアウトの後、正気に返った名美は男の死体を部屋で見つける。あたしが殺したのかもしれないと恐怖する。何しろ自分にはイク瞬間に男に暴力を振るうという癖がある。
スリリングな展開である。
死体が残していったビデオを家に持ち帰っってみると、自分が男に犯されている様子が克明に記録されていた。名美は涙する。やはり自分か殺したに違いない。ビデオをとてもじゃないが最後まで見れなかった。
さてこの辺りから、映画は重大な欠陥を徐々に露わにする。おそらくこの映画を見た誰もが簡単に指摘できるだろう。
ネタ晴らしをすると、謎の犯人像はレズのママかもしれない、救いの手を差し延べた村木かもしれないという疑惑が名美の周辺で二転三転するが、結局、真犯人は名美自身だった。その殺人シーンがビデオの以後にちやんと映っていたというのが映画のオチである。
ビデオの結末部分を名美は見ていない。この映画の作り手としては物語の中盤で、それを名美にも、観客にも見させる訳にはいかなかった。あえて核心部分を目に触れさせない説明として、ヒロインのトラウマを利用した。つまり、彼女はビデオに映った自分のレイプシーンを、あの過去が激痛のように蘇るため、最後まで見ることはできなかった、という訳だ。
これはかなり苦しい。殺人犯の汚名を着せられそうな女が、その唯一の証拠品であるビデオを最後まで見ないで済ませることができるだろうか。
最大の問題はラストである。
事件の犯人はレズのママということで落ち着いた後、名美は村木と寝る。部屋に例のビデオが映っている。名美はイク瞬間、ベッドの下に手を伸ばす。
そして向こうのビデオに名美の殺人が映され、次のシーンで名美は血まみれの体にシャワーを浴びている。村木を殺してしまったらしい。
僕が問題だと思うのは、村木の扱いである。
村木は中盤窮地に陥った名美と共にビデオを解析する。そこで名美以外にビデオに写っている第3の人物を発見した。証拠品のビデオは更なる解析とモミ消しのため、村木の手に託された。
当然、村木はビデオの最後まで見たはずだ。名美がサイコ・キラーであることを知っているはずだ。
それでも村木はラストで名美を抱いた。この女は殺人者だ。トラウマが癒されたかどうか分からない。イク瞬間に自分にナイフを突きたてるかもしれない。
早い話、『氷の微笑』におけるマイケル・ダグラスである。あの絶倫男以上の恐怖を、この映画で描くことはできたはずだ。
何故、映画は殺人者の女を抱こうとする村木の苦悩と純愛を描かないのだろうか。恐怖を超えても名美を抱き締めたい思いが村木にあったのだと思う。僕は過去の作品群には疎いけど、そこら辺の気持ちのアヤが名美と村木の物語におけるキモではないのだろうか。
生と死が隣合わせのセックスを描かず、映画はB級スリラーサスペンスの枠内に収斂してしまった。
エンディングの、川上麻衣子の白い肉体にベットリした血が縞模様になっている姿が夢に出てくるほどに怖いだけに、終盤の展開の甘さが悔しくてたまらない。
前作『ヌードの夜』では、村木と亡霊の名美を哀しいネオン色の部屋で交歓させた。あのテンションからすると相当落ちていないか。
邪推かもしれないが、クレジットタイトルの製作会社名を見ると、この映画はどうやらビデオ発売を前提に企画されたようだ。
ビデオのレンタル層が、「映画芸術」が分析するように、仕事に疲れて帰ってきた後、AVと一緒に肩の凝らないビデオを借りてゆく独身サラリーマンなのだとしたら、この映画に求められたのは、裸とお手軽なサスペンスが同店するB級スリラーだったのかもしれない。
そのために日本映画界の残り少ない財産の一つである『名美と村木』が持ち出されたのだとしたら、ちよっと悲しい。
いや、そうは信じたくない。
映画の後味が失望だったとしても、この監督に対しては強烈な願いがある。
トラウマから開放されず、愛する男とのセックスの果てにどうしようもなく刃を握りしめてしまう名美を、もう一度スクリーンで見せてほしい。本当に見たい。すぐ見たい。
シネマアルゴを出ると、宵闇の新宿は名美の汗ばんだ肉体のように濡れそぼり、ぬめっていた。
もう誰も矢本沢ダムの貯水率について話題にしない。
夏は完全に終わったのだ。
野沢尚著書より
共通テーマ:本
>何故、映画は殺人者の女を抱こうとする村木の苦悩と純愛を描かないのだろうか。
主要人物を「葛藤させることができるシーン」を見つける野沢さんの鋭さが
さすがにすごいですね。。。
監督さんが羨ましいです^^
by gyaro (2009-10-10 13:29)
shinさん
gyaroさん
スタンドアロンさん
nice!ありがとうございます。
by 野沢 (2009-10-11 21:03)
gyaroさん
コメントありがとうございます。
野沢の若いころの記事で、書きながらハラハラさせられますが・・・^^;
ファンの方々にとっては、当時の彼自身の思いを知るひとつの材料として良いのかな?と思い、掲載させていただいています。
by 野沢 (2009-10-11 21:08)