映画館に上質な娯楽を楽しむ人々はいるのか [「映画館に、日本映画があった頃」]
映画館に上質な娯楽を楽しむ人々はいるのか
左上腹部に依然として時限爆弾を抱えつつ、毎週金曜朝9時半電話が鳴るのを待つ。
前夜のドラマの視聴率をプロデューサーから知らされる朝である。3回目まで下がり続け、恐怖の一桁台に突入するかと思われたが、4回目にしてやっと上昇し微かながら希望の光を見た。
フジテレビの連続ドラマをやるまでは、2時間ドラマでシングルの視聴率は当たり前だったし、数字の浮き沈みなんかにや左右されない逞しい作家的体質を侍っていると思っていたのに、この頃の僕ときたらとっても人間的だ。
最終回の直しはあと1回の1日仕事で終わるであろうと思われる5月6日、五反田のイマジカヘと急ぎ、奥山和由監督バージョンの『RAMPO』の試写を見せてもらう。
この映画については来月号、黛りんたろうバージョンも見た上で論評させてもらう。
このエッセイもそろそろ5年目に入ろうとしているし、読者からの声がれば、いつだって連載をやめてもいいと思っているけど、この「RAMPO」について書くまではやめられない。
ノン・クレジットながら、1年以上その仕事に参加し、黛氏や奥山氏と少なからず苦労を共に、彼らと発展的(?)解消をした人間として、ニ種類の完成作品を見届けた上で、総括したいと思っている。『RAMPO』を最も正確に論評できる人間は、どの批評家でもなく、この僕だという自負がある。
おそらく、長い文章になるだろう。
包うご期待……と予告編を打ったところで今月のテーマ。
五反田の帰りに渋谷松竹セントラルで見た5話オムニバス『怖がる人々』について。
『世にも奇妙な物語」というテレビ番組がある。ひと頃まで毎週放送していたが、さすがにそれだけ連続すればネタがなくなるようで、現在は改編期のみのスペシャルドラマになっている。が、やはりネタには事欠いているようで、総じて出来はよくない。
この番組がテレビ界にもたらしたのは、新しい才能だった。この番組から育った若手の演出家や脚本家が、現在のメジャー枠で主戦力になっている。
おそらく彼らは「怖がる人々』の宣伝を目にした時、仲間内でこう笑っていただろう。
「映画の人間は今頃何をやっているんだろう」と。
もちろん『怖がる人々』は、1本を3日程度で撮影しなければならないテレビ番組とは比較にならないほど、丁寧に映像を積み重ねている。端役に至るまで主演クラスのカメオ出演で豪華。演出にも、この監督独特の美意識とユーモア感覚が溢れている。
「キネマ旬報」の特集を読んでも、監督やスタッフたちが持ち前の技術と感覚を総動員して、撮影現場を楽しんでいたことが分かる。
ただし、この対談を読んで思ったことがある。エレベーターのドアが開いてマンションの廊下の向こうに見える東京タワーは、どう見てもセットに見えたし、嵐の中を飛んでくる飛行機はどう見ても電気的に細工された映像だった。あの程度のことでは今の観客は騙されない。
気のせいかもしれないけど、この映画の作り手たちは、今の観客の嗜好や理解力といったことを正確に把握していないんじやないだろうか。
古き良き映画の時代の観客を相手に、映画を作っているような気すらする。
毎週やっていたテレビ番組でオムニバス形式のスリラー物に慣れ親しみ、すでに飽きていて、生半可なオチでは満足しない貪欲な観客である。だからといって目が肥えているのかと思うと、そうでもなく、彼らが求めているのはハイブロウな結末よりも、ショック、サプライズ、といったお手軽な高揚感である。
子供をバラバラにしたと告白した女は、何事もなくエレベーターから出ていった。列車から下りたったのは猫男だった。
こういうオチを与えられても、哀しいかな、彼らは「……?」と釈然としないまま、次の話に入っていくしかなかった。
ゴールデン・ウイーク中の土曜日の最終回、映画が終わり、通路を去ってゆくおよそ50人ほどの観客の表情を垣間見て、そんなことを思った。
僕白身は5分の2、楽しんだ。
『火焰つつじ』と『五郎八航空』、特に前者の作品としてのたたずまいがたまらなく魅力的だった。
呉服商の男とワケあり風の女が、土砂降りの駅で出会う。旅館まで油紙を傘代わりにして同行し、相部屋となる。
この二人はどういう夜を過ごすのか。男と女の関係になるとしたら、どういうキッカケで、どういうタイミングでそうなるのか。
僕は、この映画の語り口に目を凝らす。
湯上りの2人。男の方が、ひっつき合っている布団を離す。女のうなじが眩しく思える瞬間。だけど自制して「おやすみなさい」と布団に入る。寝つかれない。女が「暑くないですか」と聞く。雨戸を開ける。そこで女はギョッとする。窓の外に何か恐ろしいものを見た。男が「何を見たんですか」と聞いても「朝になったらお話しします」と女は言うだけ。逆に「面白い話を聞かせて」と男にねだる。男は小話を語る。2つ目の小話には何となく色っぽい雰囲気が漂う。艶笑話に女も笑う。2人の距離が縮まる。そこで2人は暗黙の呼吸のように唇を重ねる。
お見事。
そうだよな。素性を知らない同士の一夜の関係は、こうやって始まるんだよな。
黒木瞳が素晴らしくイイ。テレビで『魔性の女』やキヤリアウーマンをやりすぎたせいだろうか、最近とみに新鮮さを感じなくなっていた女優であるが、この映画における彼女は妖しく輝いている。
和服で安宿の畳に座る姿にゾクゾクするような色気を感じる。
文芸映画のたたずまい。恐怖譚としてのオチを付けなきやいけないのは分かるけど、僕はこの2人の悲しい別れまでを見たかった。
最後の作品には、映像はきわめて電気的ながら、映画的スケールを楽しめた。
乳飲み子にオッパイをやるため渡辺えり子が操縦を乗客にまかせるが、まかせる相手は石黒賢であった方が面白かったのに、と思った。
僕なら、怖がる都会人2人をもっといたぶってやる。
おそらく興行的には不発なんだろう。今頃、ビデオやテレビ放送の二次使用でトントン……といった切ない会話がどこかで行われているのかもしれない。
上質な娯楽を求める観客がどれだけこの世の中にいるのか、作り手たちが計りきれなかったことが1つの敗因ではないだろうか。
そこで思うこと。
アルゴに出資しているサントリーは、いつまで映画事業に絶望しないて スポンサーであり続けてくれるんだろうか。
僕ら映画作家は、この神様のような企業を騙し続けてはいけない。スポンサーを巧みに騙すことは作家としての処世術ではあるけれど、こういう世の中だからこそ、作家側と出資者はもっと腹を割って真摯に付き合わなくては、と殊勝なことを思ったりする。
野沢尚著書より
共通テーマ:本
漢さん
nice!ありがとうございます。
by 野沢 (2009-05-03 19:52)
ご無沙汰しております^^
野沢尚さんのエッセイがブログ上で読めることは、
とても幸せなことです。
「暗黙の呼吸」欲しいものです(笑)
by gyaro (2009-05-06 13:13)
himawariさん
nice!ありがとうございました。
by 野沢 (2009-05-08 21:49)
gyaroさん
nice!とコメントありがとございます^^
今読むと、とがった部分も多いのですが、それもとても懐かしいです。
by 野沢 (2009-05-08 21:50)