映画館の扉から、観客たちが溢れたが [「映画館に、日本映画があった頃」]
映画館の扉から、観客たちが溢れたが・・・・
1月30日。
安田成美の船上結婚パーティーに行った。
前半はバラエティーのノリ、後半は一転して泣かせ。実に感動的だったのは、彼女が両親に贈った『作文』だ。飾りのない文章で素直に感謝の言葉を綴っていた。あれは文学をよく読んでいる女性の文なだと思った。「私はもう大丈夫です……」のくだりで、招待客は涙した。
真っ赤なドレスに身を包み、幸福の絶頂にいる彼女に、僕は4月からのドラマで脚本家として『いじめ役』になる。愛に渇いた主婦が売春の世界に飛び込み、恋人を見つけ、金で買う買われるの関係で不倫する。彼女の醤油コマーシャルのイメージを徹底的に崩すヒロイン像だ。2月に入ると、彼女とじっくり話さなければならない。どういう風に脚本を読んで来るのだろうか・・・・・・
2月5日。
『ラストソング』の公開初日である。
穏やかな晴天。マリオン9階の日劇東宝に行く。まだ40分前なのに客入れをしていた。すでに満員。扉から溢れている。
僕にとって11本目の映画だが、初日にこんな光景を目にするのは初めてだ。この映画に3年以上を費やしてきたプロデューサーたちは、確かな手応えを感じる眼差しで続々と入ってくる客たちを見つめている。
10分繰り上げて上映を始める。扉の所で背伸びしながらスクリーンを見ているお客さんの姿を見ているうち、涙腺が緩む。
我々が作った物を、どうしても見たいと思ってやってきた人々なのだ、波らは。
ニッキー・ホプキンスのジャズ・タッチのイントロダクションが始まり、スクリーンはギタ―を手にした吉岡君のアップを捉えた。
批評がそろそろ出揃う。
傾向としては、映画会社から純粋培養されてきた企画ということで意欲は買ってくれたみたいで、好意的ではある。
否定的な論調としては、古臭くて気取りが多いというものが大半を占めている。
僕らにしてみれば、どちらの指摘も確信犯である。
この映画に眼らず、批評家たちの多くは、作り手たちが何を狙い、誰に映画を発信しようとしているのか、その点についての考察をなかなかしてくれない。狙いを理解した上で、その目的が台詞や演出や演技でちゃんと表現されているのか、そこを書いて欲しい。そこを読みたいと思う。
この映画は好きとか嫌いとかいう感想文など読みたくない。
作り手と批評家の間には、深くて暗い川が流れているのかもしれない。彼らは対岸で腕組みをして、こちらを眺めている気がする。橋を掛けてくれたら、もっと接近してくれたら、と思うことが何度となくある。
だから、特に脚本について諭じられた時、本当にこの人たちは脚本を読んで語っているのか、と疑わしい思いにかられる。このコーナーで何度も書いているけど、完成した映画から『感じる』脚本は、脚本ではない。脚本とは紙の上に書かれた文章のことである。
若い観客たちは、どんなシンパシーを受けただろうか。あるいは拒否感があったのだとしたら、何が災いしているのか。
ある人は、この映画に描かれているロックはロックではないと言う。むしろ演歌だと。
実際その通りで、ロックは3人の登場人物を引き寄せ、離すドラマにおける『入口』に過ぎない、と言ってもいい。ロックの世界の特異性を描きたい訳ではない。
舞台挨拶も終わり、スタッフと3人の俳優たちは近くの中華料理屋に移動、簡単な打ち上げを行う。
「ノザワさんがサラッとした本を書くと、どうなるんですか」と本木君に聞かれた。どう答えたらいいんだろう。よっぽど今回の脚本は、彼にとってコテコテと油っぽかったんだろう。
安田成美は、昨夜、連続ドラマの脚本を受け取ったと言う。が、その感想については一言も発しない。不気味だ。
2日後、初日と日曜日の成績が知らされる。
現状では3億円ラインの見通しだと言う。好発進とは言えない。テレビスポットが行き届いている都心部は良いが、地方の映画館に客が来ない。ややガックリくる。5億はいきたい。せめて4億。でないと、この種の映画の可能性がまた狭まってしまう。
あとは口コミ効果がどれだけ利くか、平日の夜の回にどれほど入るか、にかかっている。
祈る思いだ。
2月8日。フジテレビで安田成美と4月番組についての話し合いをする。売春から始まる純愛物語に意欲を燃やしてくれている。
5歳の子供との密着した関係性、母と息子だけの世界を加えてほしいと要望される。『マリリンに逢いたい』の頃もそうだったけど、物足らないと思うことはハッキリ「物足らない」と言う女優である。新婚でフワフワしてるんじやないかと思ったけど、細い体には1本固い芯が通っている。仕事人の顔だった。
相手役は岸谷五郎。『月はどっちに出ている』で映画賞を総ナメにした、今、最も句の俳優だ。彼とは昨夜、食事しながらじっくり話し合った。
豊川悦司とも、鴫田久作ともキャラクターの履歴を含めて話し合いは済んでいる。
清楚な彼女を取り囲む径優三人。並んだ姿を想像し、少なくてもこれは『守り』に入ったドラマではない、と思う。
が、大問題は、安田成美が部屋から去った後に待ち構えていた。
企画の根幹に関わる問題をプロデューサーから知らされる。最悪の場合、僕がこの仕事から下りなくてはならない。
今は多くを語れないが、この号が発売になる頃、僕のタイトルがちゃんと入った脚本でドラマの収録が始まっていたら、大問題は解決しているということだろう。
とんがったドラマが作りにくい御時世、ということか。
脚本を書いていて、不況の波を初めて実感した。不況だから大衆はてっとり早く娯楽を求め、テレビの世界は不況の時こそ繁栄する……なんて真っ赤な嘘だ。
2月10日。公開後初めて映画館に『ラストソング』を見にゆく。
渋谷宝塚の7時の回。連休前の最終回。ここでの客足で占えそうな気がした。
客席でバッタリ、其田さんと事務所の女性二人に会う。夏目雅子さんを育てた、業界の紳士と言われる俳優事務所の社長さんだ。奇遇に驚き、4人並んで見ることにする。お客は7分入り。悪くないと思う。本当にこれで3億ラインなんだろうか。
映画が終わると、其田さんに握手を求められる。60歳を越えた人間にも勇気を与えてくれる映画だという。渋谷の居酒屋で乾杯をする。特に本木君に対して、其田さんも、山本サンや菅野サンたち女性陣も、賞賛の嵐だ。
これは、全ての観客とは言わないが、多くの観客の気持ちを捉えた作品ではないだろうか。過剰な表現があるかもしれない。しかし、日常的なリアリズムを楽しみたいならテレビを見たらいい。
映画館には映画的なウソがあるべきではないだろうか。
野沢尚著書より
共通テーマ:本
初めまして……お恐れながらもペタ!
by 漢 (2008-12-17 11:42)
漢さま
nice!とコメントありがとうございます。
これからも、たくさんコメントお願いします。
by 野沢 (2008-12-18 13:19)