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映画館はまだ遠い・・・① [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館はまだ遠い・・・①
(※「映画館はまだ遠い」の章は長いので分割掲載とさせていただきます)

 その仕事は91年の6月に始まった。あれからもう3年もたってしまったのか。
 松竹とNHKエンタープライズ共同製作として始まったハイビジョン映画企画は、『乳房』『春の雪』と企画は上がったものの原作権交渉で躓き、宙ぶらりんの状態にあった。
 NHK側はまだ三島由紀夫原作にこだわっていたが、僕と監督の黛りんたろう氏との間では、江戸川乱歩賞の映像化という案が出た。当初は、乱歩の代表的な短編オムニバス形式、というコンセプトだったが、やがて、乱歩を主人公にした、乱歩世界の虚構と現実が交差する、言ってみれば作家の精神構造を描く映画にしようという話に発展した。
 会社上層部のOKサインが出ると、僕と黛氏は競い合うようにして乱歩作品を片っ端から読み、乱歩にまつわる参考文献を集めた。
 江戸川乱歩という人は誤解を恐れず言うと、1923年『二銭銅貨』でデビューしてから執筆休止期間を挟む1929年までの6年間で燃え尽きた作家だと思う。『心理試験』『屋根裏の散歩者』『芋虫』『人間椅子』『人でなしの恋』という珠玉の短編はこの6年の間に生み出され、当時の検閲を受けながらも、乱歩は一躍、怪奇エログロ探偵小説の大家となった。
 しかし30代後半から、乱歩は大味な長編小説と少年少女向けの怪人20面相シリーズで晩年まで作品を発表し続ける。
 とても長生さした作家であるが、傑作群は最初の数年期に集まっていて、円熟期というものが見当たらない珍しい作家だと僕は思う。
 人見知りが激しく、だが自己顕示欲は人一倍で、カメラを向けられると、つい恰好つけて写真に収まってしまうような男だったそうだ。
 伝記を読んで発見したのは、横溝正史氏との交流である。当時、横溝氏は乱歩の編集担当だったらしい。
 僕と黛氏は、当時のトレンディ青年として横溝正史を造り、乱歩とのコンビを物語の前半の軸にしよう、と話し合う。
 原作として使うのは『火人幻戯』。これは乱歩の長編としては遺作とも言える作品で、プロットやトリックにかなり無理があり、小説の完成度としては低い。
 しかし動物の愛欲を宿した殺人快楽症のヒロイン像はなかなか毒々しくエロチックで、乱歩の他の小説をミックスすれば、強烈な悪女を造形できるような気した。
 例えば、若い後妻が亭主を長持ちに閉じ込めて殺す『お勢登場』、この作品は乱歩の短編の中でも知る人ぞ知る傑作である。
『屋根裏の散歩者』も使える。原作における犯人は郷田三郎という男だが、ヒロインの原体験として使えるのではないか、と考える。
 ヒロインは幼少時代にアパートの屋根裏を徘徊し、様々な人間たちの痴態を天井の節穴から覗き、やがて両親のSM愛も見てしまう。殺人快楽症の原点は、屋根裏体験に根ざしているという訳だ。
 こうして僕らは乱歩世界の再構築に夢中となり、脚本の第一稿ができたのは91年の10月だった。
 それから1年間の苦闘が待っているとは、その時は夢にも思わなかった。
 脚本改訂で苦闘しなければならなかった最大の原因は、予算との絡みであった。
二度三度と脚本を直してはみたものの、どうやっても予算枠にはまらない。
 この仕事が最もドラスティックな動きを見せたのは翌年の2月だった。
 当時、奥山氏がプロデュースした『外科室』1000円興業があたった。これに気を良くした奥山氏は、『RAMPO』を70分・1300円興行にしようと言いだした。
 僕と黛氏はパニックになった。
 70分にまとめるということは、半分近くページを落とさなければならない。肉を削って骨まで削るような作業である。
 2月19日、奥山氏の部下である松竹側の担当プロデューサーに、僕は言う。「残酷な注文だ。ぎりぎり25ページは切る。50ページ切れと言うなら下りる」と。
 場を静安が支配し、プロデューサーは奥山氏の許へ僕の返答を持ち帰る。
 2日後、奥山氏と会う。この企画に大ナタを振るわなければ暗礁に乗り上げるという奥山氏の言い分も分からないではなく、僕は苦肉の策を提案する。
 60分60分の前後編にすればどうか。今ある3億の予算を前編に投入し、その成績を見だ上で後編を作る。連続ドラマならぬ連続映画という試みに注目も集まるだろう。
 ほとんどヤケクソ気味の提案に、意外にも奥山氏はノッた。
 ところが今度は黛氏が難色を示す。そういう製作体制を取れば、おそらく前編だけで終わってしまうだろう。結末のない中途す端な作品になるぐらいなら70分バージョンに努力すべきだ、と。
 あっちを立てれば、こっちが立たず。
 この時期、僕と黛氏と奥山氏はグチャグチャの三つ巴状態だった。
 それから半年間の出来事は思い出せないほど錯綜している。
 結局僕は第5稿の脚本と、6稿目のハコ書きを上げたところで、話し合いの末、下りることになった。その頃フジテレビの『親愛なる者ヘ』のスケジュールに突入していて、『RAMPO』の改訂作業は後回しにせざるをえない状況だった。
 黛氏は「ホンをこちらにまかせてもらえないか」と切り出した。もっと早くそう言いたかったのかもしれない。
 監督とは友好的に仕事はできたが、肝心な部分で分かり合えなかった気がする。
監督の注文を最大限聞き入れて脚本を直し続けたが、何度直しても監督は悩み、、自分が求めた脚本はこうではない、と途方に暮れていた。
 92年7月3日に仕事を下りた時点で、脚本タイトルが黛氏と連盟になることは、僕も納得した。

つづく
(野沢尚著書より)


2009-06-16 04:05  nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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映画館に上質な娯楽を楽しむ人々はいるのか [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館に上質な娯楽を楽しむ人々はいるのか

 左上腹部に依然として時限爆弾を抱えつつ、毎週金曜朝9時半電話が鳴るのを待つ。
 前夜のドラマの視聴率をプロデューサーから知らされる朝である。3回目まで下がり続け、恐怖の一桁台に突入するかと思われたが、4回目にしてやっと上昇し微かながら希望の光を見た。
 フジテレビの連続ドラマをやるまでは、2時間ドラマでシングルの視聴率は当たり前だったし、数字の浮き沈みなんかにや左右されない逞しい作家的体質を侍っていると思っていたのに、この頃の僕ときたらとっても人間的だ。

 最終回の直しはあと1回の1日仕事で終わるであろうと思われる5月6日、五反田のイマジカヘと急ぎ、奥山和由監督バージョンの『RAMPO』の試写を見せてもらう。
 この映画については来月号、黛りんたろうバージョンも見た上で論評させてもらう。
 このエッセイもそろそろ5年目に入ろうとしているし、読者からの声がれば、いつだって連載をやめてもいいと思っているけど、この「RAMPO」について書くまではやめられない。
 ノン・クレジットながら、1年以上その仕事に参加し、黛氏や奥山氏と少なからず苦労を共に、彼らと発展的(?)解消をした人間として、ニ種類の完成作品を見届けた上で、総括したいと思っている。『RAMPO』を最も正確に論評できる人間は、どの批評家でもなく、この僕だという自負がある。
 おそらく、長い文章になるだろう。
 包うご期待……と予告編を打ったところで今月のテーマ。
 五反田の帰りに渋谷松竹セントラルで見た5話オムニバス『怖がる人々』について。

『世にも奇妙な物語」というテレビ番組がある。ひと頃まで毎週放送していたが、さすがにそれだけ連続すればネタがなくなるようで、現在は改編期のみのスペシャルドラマになっている。が、やはりネタには事欠いているようで、総じて出来はよくない。
 この番組がテレビ界にもたらしたのは、新しい才能だった。この番組から育った若手の演出家や脚本家が、現在のメジャー枠で主戦力になっている。
 おそらく彼らは「怖がる人々』の宣伝を目にした時、仲間内でこう笑っていただろう。
「映画の人間は今頃何をやっているんだろう」と。
 もちろん『怖がる人々』は、1本を3日程度で撮影しなければならないテレビ番組とは比較にならないほど、丁寧に映像を積み重ねている。端役に至るまで主演クラスのカメオ出演で豪華。演出にも、この監督独特の美意識とユーモア感覚が溢れている。
 「キネマ旬報」の特集を読んでも、監督やスタッフたちが持ち前の技術と感覚を総動員して、撮影現場を楽しんでいたことが分かる。
 ただし、この対談を読んで思ったことがある。エレベーターのドアが開いてマンションの廊下の向こうに見える東京タワーは、どう見てもセットに見えたし、嵐の中を飛んでくる飛行機はどう見ても電気的に細工された映像だった。あの程度のことでは今の観客は騙されない。
 気のせいかもしれないけど、この映画の作り手たちは、今の観客の嗜好や理解力といったことを正確に把握していないんじやないだろうか。
 古き良き映画の時代の観客を相手に、映画を作っているような気すらする。
 毎週やっていたテレビ番組でオムニバス形式のスリラー物に慣れ親しみ、すでに飽きていて、生半可なオチでは満足しない貪欲な観客である。だからといって目が肥えているのかと思うと、そうでもなく、彼らが求めているのはハイブロウな結末よりも、ショック、サプライズ、といったお手軽な高揚感である。
 子供をバラバラにしたと告白した女は、何事もなくエレベーターから出ていった。列車から下りたったのは猫男だった。
 こういうオチを与えられても、哀しいかな、彼らは「……?」と釈然としないまま、次の話に入っていくしかなかった。
 ゴールデン・ウイーク中の土曜日の最終回、映画が終わり、通路を去ってゆくおよそ50人ほどの観客の表情を垣間見て、そんなことを思った。

 僕白身は5分の2、楽しんだ。
 『火焰つつじ』と『五郎八航空』、特に前者の作品としてのたたずまいがたまらなく魅力的だった。
 呉服商の男とワケあり風の女が、土砂降りの駅で出会う。旅館まで油紙を傘代わりにして同行し、相部屋となる。
 この二人はどういう夜を過ごすのか。男と女の関係になるとしたら、どういうキッカケで、どういうタイミングでそうなるのか。
 僕は、この映画の語り口に目を凝らす。
 湯上りの2人。男の方が、ひっつき合っている布団を離す。女のうなじが眩しく思える瞬間。だけど自制して「おやすみなさい」と布団に入る。寝つかれない。女が「暑くないですか」と聞く。雨戸を開ける。そこで女はギョッとする。窓の外に何か恐ろしいものを見た。男が「何を見たんですか」と聞いても「朝になったらお話しします」と女は言うだけ。逆に「面白い話を聞かせて」と男にねだる。男は小話を語る。2つ目の小話には何となく色っぽい雰囲気が漂う。艶笑話に女も笑う。2人の距離が縮まる。そこで2人は暗黙の呼吸のように唇を重ねる。
 お見事。
 そうだよな。素性を知らない同士の一夜の関係は、こうやって始まるんだよな。
 黒木瞳が素晴らしくイイ。テレビで『魔性の女』やキヤリアウーマンをやりすぎたせいだろうか、最近とみに新鮮さを感じなくなっていた女優であるが、この映画における彼女は妖しく輝いている。
 和服で安宿の畳に座る姿にゾクゾクするような色気を感じる。
 文芸映画のたたずまい。恐怖譚としてのオチを付けなきやいけないのは分かるけど、僕はこの2人の悲しい別れまでを見たかった。

 最後の作品には、映像はきわめて電気的ながら、映画的スケールを楽しめた。
 乳飲み子にオッパイをやるため渡辺えり子が操縦を乗客にまかせるが、まかせる相手は石黒賢であった方が面白かったのに、と思った。
 僕なら、怖がる都会人2人をもっといたぶってやる。
 おそらく興行的には不発なんだろう。今頃、ビデオやテレビ放送の二次使用でトントン……といった切ない会話がどこかで行われているのかもしれない。
 上質な娯楽を求める観客がどれだけこの世の中にいるのか、作り手たちが計りきれなかったことが1つの敗因ではないだろうか。
 そこで思うこと。
 アルゴに出資しているサントリーは、いつまで映画事業に絶望しないて スポンサーであり続けてくれるんだろうか。
 僕ら映画作家は、この神様のような企業を騙し続けてはいけない。スポンサーを巧みに騙すことは作家としての処世術ではあるけれど、こういう世の中だからこそ、作家側と出資者はもっと腹を割って真摯に付き合わなくては、と殊勝なことを思ったりする。



野沢尚著書より


2009-04-27 10:17  nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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映画館には通うものの、病の不安で気もそぞろ [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館には通うものの、病の不安で気もそぞろ

 何となくテレビ雑誌が勝手に盛りトげているフシもあるけど、水曜ドラマ戦争なるものの真っ只中に、今いる。
 こちらの『この愛に生きて』と裏のTBSドラマ、決戦の4.14まであと一週間というところだが、巷で会う人会う人がプレッシャーを掛けてくるので、ちょっとうざったい気分だ。
 脚本は終盤まで来てて、おそらく放送日の頃には最終回の第1稿に入っているだろう。
 で、病気になった。
 原囚不明の左上腹部の激痛。午前3時に我慢できなくなり、家族を大騒ぎさせるのぱ忍びなく、1人で激痛に耐えながら自転車で3分の仕事場に辿り着き、病院の診察券を侍って目の前の救急病院に向かった。
 年に3度ほどこういうことがある。その度にブスコパンという痛み止めの注射を受け、翌日には何となく回復している。しかし今回はちょっとしつこく、痛みは渋く残って3日続いた。そして血液検査の結果、白血球の数が異常に高いことが判明する。
 医師は言う。「慢性骨髄性白血病の疑いもありますから、骨髄検査を受けて下さい」
 僕は思わず聞き返す。「それは……よくテレビドラマとかで出てくるあの白血病のことですか?」
 そしたら医師は「そうです」と真面目な顔して答えるのだ、これが。
 それから検査までの一週問、検査結果が出るまでの一週問、僕は人生に悲観した。
 ちょうどその頃、ドラマについて週刊朝日の取材を受けて、「家族への遺言のつもりで脚本を書いている」とコメントしたが、実際そういう心境だった。
 検査当日、骨髄検査ほど痛い注射はない、という予備知識。ビクビクしながらお尻を丸だしにしてうつ伏せに寝る。怖い。まず麻酔を打つ。そして腰骨のあたりに針が刺さり、骨髄液を抜かれる。
 「・・・・・!」 
 とてつもなく痛い。太い針金の先で指圧されるような感じ。僕は25年ぶりに医者の前で「痛い、痛い」と泣いた。麻酔を更に打つ。どうやら麻酔が利きにくい体質らしい。あまりの痛みに下半身がが痙攣し、看護婦が僕の尻に跨がって押さえつけた。
 結果が出るまでの一週間、本屋に行けば、白血病に関する本を手にしてしまう。この病気は必ずしも不治の病ではないと分かり、少しホッとする。
 それでも家に帰って子供と遊べば、「この子の花嫁姿を俺は見れるのだろうか」と考えてしまい、目頭が熱くなる。こういう時に『マイ・ライフ』は見ない方がいい。つい8ミリビデオを自分に向けてしまいそうだ。
 今抱えている企画を広げ、遺作にはどれがふさわしいか、と真剣に考えてしまう。
 やがて結果が出る。白血病の疑いは数値を見る限りはないと言う。安堵する。
 じやあアノ痛みは何なのだッ。
 ……という顚末はニ週問間前のことだが、この原稿を書いている最中、また発作が出た。
 前回を遥かに上回る七転八倒の激痛で、その姿は、『太陽にほえろ!』に出てくる下手なチンピラ役が38口径の弾丸を腹にくらって地べたをのだうち回る姿によく似ている。
 一晩に2度も救急に駆け込む。
 それにしても、深夜の病院というのは面白い人間模様が見物できる。飲み屋の階段から転がり落ちた49歳の女が、酔っばらいの恋人に連れられ治療を受けに来ている。恋人が腹を押さえてベッドに横だわっている僕の側まできて、「先生よお、俺の頭も縫ってくれよお」と叫んでいる。先生は「出てって下さい」と押し返す。怪我した女は僕のすぐ横で「何とかしてよお!」とわめいている。とんだ修羅場に来てしまった。
 で、僕の治療が始まる。この痛みは腎臓結石のそれに似ているが、痛みは背中に響かないし、尿もきれいである。位置からして胃ではない。先生は頭をかかえる。とにかく痛みを止めるために注射を2種類。時計は午前4時半。外来が始まる4時間後まで、これで辛抱してほしいと言われる。
 ところがこの注射がまったく利かない。仕事場に戻り、窓から差し込む朝日の中、「痛い、痛い」とソフアベッドから床へと転げ回る。頭は眠たくてフラフラしているのに、激痛が睡魔を殺す。
 結局一睡もできないまま、亡霊のような姿で外来の治療を受ける。そこで自分の声が出ないことに気付く。一晩中「痛い」と叫び続けて、喉が涸れてしまったのだ。
 レントゲンを撮る。すると痛みの部分に変な影があると言われ、消化器の外来に回される。
 今度の先生は言う。腸を精密検査した方がいいと思うが、まず外堀から固めていきましょう。
 ということで毎度お馴染みの血液検査である。
 ドラマ第1回の視聴率の出る4月15日に、腹部のエコー検査を受けることになる。もし視聴率が悪かっから、検査の数字も悪いのではないか、と思ったりする。
 その結果次第ではあるけど、二週間ほど検査のための入院をした方がいいと言われる。

 ……という大騒ぎである。
 この仕事を長年してきて体をボロボロにされた諸先輩の皆さんの中て同じ症状を経験しか人がいらっしやったらお聞きしたい。
 何なの、この病気は。

 てな調子だから、映画館にいっても鑑賞眼はぼやけている。
 今回書くテーマは松竹の『シュート』にと決めていたのだけど、体調不備のまま見たものだから、的確な分析に自信がない。
 業界で数少ない友人である橋本以蔵さんが脚本だから、ちゃんとした文章を書くつもりだったんだけど。
 一言だけいわせて戴く。
 面白かった。やってることは従来のスポーツ根性モノなのだけど、主演の中居正広の二枚目半的な瓢々とした味が楽しく、90年代の体育会系映画、と言ってもいいような魅力が溢れていた。

 実を言うと、他人の仕事どころではない。
 今、虚構の世界にハマツている。
 今僕が一番見たいものは『夏の庭』でもなく『さらば、わが愛』でもなく『ミセス・ダウト』でもなく、毎週木曜の午後にテープが届く自分のドラマなのだ。
 安田成美の「そこまでやるか」的な潔さと、驚くほど安定した演技。
 岸谷五郎の優しさ。土臭い清潔感。
 豊川悦司の「いそう」な亭主象。
 この仕上がりなら、例え数字の戦争に負けたって構わない。見ないお客の方が馬鹿なのだ。
 宣伝文句的に言わせてもらうと、子宮に火をつけるようなドラマだと思う。30前後の、生活に追われた主婦たちに、忘れかけていた本能を呼び覚ますドラマではないか。
 愛が終わると言われる結婚4年目の亭主にしてみたら、決してカミさんとは見たくないけど、誰かにビデオ録画を頼んで後でこっそり見てしまい、女の内に隠された欲望に唖然とするようなドラマだと思う。
 ・・・・・・と、作者自身がこんなにハイになってしまうことを許してほしい。
 ひとえに、病の不安を誤魔化すためだから。

野沢尚著書より





2009-03-31 01:19  nice!(2)  コメント(7)  トラックバック(0) 
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映画館を出て一週間、悩み続けた [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館を出て一週間、悩み続けた

 3月7日の月曜日。テアトル新宿へと走った。阪本順治監督待望の新作である。
 去年の連続ドラマの打ち上げで、佐藤浩市が「次は阪本作品で悪役をやる」と静かに燃えていたのを思い出す。ディスカッション好きな彼のことだから、監督と2人で役の造形ついてしつこく何度も討議したに違いない。
 映画は、自動販売機の下に捨てられていたトカレフ拳銃の黒光りから始まった。

 見終わって最初の感想。
 こんなにディテイルが甘いのに、こんなに堂々としていられるのは何故だろう。
 この映画について、誰にでも指摘できる問題点かおる。
 自動版売機のドとか病院のトイレとか、日本ではそんなに拳銃がゴロゴロ落ちているのか。
 それを言っちゃおしまいと、この映画を支持する人々は言い返す。しかし識者の評論家は、この偶然性で転がされてゆく映画に我慢ならない。身代金受取りのシーンで警察が簡単に犯人を取り逃がしてしまう展開の甘さも指摘する。
 この映画の作り手は、現代日本における男と男の、原始のエネルギーによる闘争の物語を作りたかった。都合よく拳銃を手にする展開も、その大命題のためにどうしても必要だった。『ヌードの夜』では、主人公が拳銃を手にするまであれはどの苦労をした。しかしそういうドラマは好まず、一直線に報復ドラマヘと展開を転がした。『トカレフ』の脚本を読むと(完成台本のようだけど)、これは眼差しの映画であることが強調されている。言葉による説明は徹底的に排している。
 いや、徹底はされていない。子供を誘拐されて亡くした後の夫婦の罵り合いには言葉があふれている。
 実は、今僕が書いている連続ドラマでは、子供だけで繋がっている夫婦が、子供を惨殺され、それがきっかけで離婚するという展開が中盤に用意されている。子供を亡くした夫婦の葛藤というものに最もリアリティを感じさせる方法は、激情を内向させ、言葉を奪うことだと思った。
 この映画の夫婦は.子供だけで繋がっている夫婦である。と、女優の言葉として「キネ旬」に書かれていた。
 しかしその設定を観客に分からせるならば、例えば、子供の前では笑顔でいられるが、子供がふと視界からいなくなると会話できなくなる夫婦……というようなシーンを書く。
 が、この映画の前半で描かれる夫婦像には、危うさが感じられない。感じない僕が鈍いのか。
 主人公が、誘拐実行犯のカップルを死処するシーン。どうしてあの男が犯人だと主人公は直感できたのか、あとで脚本を読むまで分からなかった。
 誘拐された時、道に人通りがないのに何度も信号でバスを止められたことを思い出す。横断歩道を渡りもしないのに信号の押しボタンを押す犯人の奇行を見掛けて、主人公はハッとしたということらしい。
 やがて主人公が宿敵・佐藤浩市を発見する。発見された佐藤浩市は、風車に火を放って、警察に捕まることで危機を脱しようとする。しかし主人公は警察にひるむことなくトカレフを撃って襲いかかる。この展開には血湧き肉踊った。
 すると佐藤浩市も拳銃を腰から技いた。トカレフを隠し持つたまま警察に捕まったという、知能犯だがどこか破綻している男だった。
 狂気や残忍さにおいて、前例のない悪役を造形したかった気侍ちは分かる。しかし、作り手たちの面白がり方が、少し暴走していないだろうか。
 この破綻が面白い、という描き方をしたかったのだろうが、その破錠の意味を考えてしまうことで、血湧き肉踊る気分が停潜してしまう。
 説明をしない。観客に想像させる。その作り方は美しい。北野武の映画に影響されているのかどうかは分からないが、作り手たちには冒険心が溢れ、志は確かに高い。
 が、ここまで突き放され説明してくれないと、説明しないということがそんなに素晴らしいことなんだろうか、と逆に反感めいたものを感じてしまう。
 例えば主人公と妻の関係性は、最初から最後まで曖昧のままである。何が好きて2人は結婚し、何が倦怠に導き、妻は佐藤浩市に目を向けるようになったのか、子供亡き後、何か我慢ならなくて二人は別れたのか。
 別れた後、自分の子供を殺したのかもしれない男と所帯を持ち、その子供までも産むヒロイン像は凄い。が、その凄さをあともう一言説明を加えてほしい。彼女は男たちの闘争を尻目に、どこへ歩いて行くのか。風車の燃える闘争の傍らにいるに違いない我が子を、何故助けに走ろうとしないのか。
 「説明はいらない」と腹をくくってまで、観客を「ノセる」手立てをことごとく放棄するという確信犯的なマイナス点を、超えて余りあるものがそんなに多くあるのだろうか。
 こんなことを感じるのは、僕が説明過多の作家だからかもしれないが。
 ラスト、主人公は宿敵を殺した後、口に銃口をくわえて自殺する。この男にとって、子供を殺されたことや女房を奪われたことが復讐の情念ではない。口にトカレフを突っ込まれて撃たれた、その屈辱が一心不乱の行動に走らせた。一度、警察の山狩りに包囲された時、拳銃をくわえて死のうとした。しかしできなかった。屈辱を晴らすまで死ねないと思った。で、ラスト、やっと宿敵を殺すことができた。
 でも僕なら、それでもこの主人公は死ねない、という終わり方を取る。あいつをやれば死ねると思った。でもあいつは死んでも、あいつに拳銃を口に突っ込まれたという記憶だけが脈脈と自分の中で生き続け、愛した女を取り戻すこともできず、ただこの世の残酷の真っ直中に茫然と立ち尽くす。そういうエンディングを僕は見たい。
 最後の自殺は、例え宿敵との心中という意味合いがあったにしても、やけに理に落ちている気がする。このテの映画のお約束の終わり方、「ソナチネ」の終わり方とどこがどう違うのだろうか、とも思う。説明を排した映画が、最後になって誰でもよく分かる理屈に到った、と僕は感じる。
 
 ……という文章を書けるまで、映画を見終わってから1週間も要してしまった。佐藤浩市から「感想求む」の葉書まで貰ってしまった以上、生半可な感想文は書けないと思ったのだ。
 けっこう悩んで書いた。
 指摘したことがはたして正しいのか、書き上げた今も自信が持てない。困った映画だ。
 それほど刺激的だった。
「偶然性の連続でノレない」の一言で済ますことなど決してできない映画だった、僕にとっては。

 3月11日。「トカレフ」とは対照的に説明に温れた『ラストソング』の最終日最終回。
 東宝の中川・瀬田両プロデューサー、フジテレビの池田プロデューサーと杉田監督、みんなと日劇東宝で落ち合い、それぞれの席でフスト上映を迎える。
 成績3億7千万。
 もう数字はいい。とにかく最後のスクリーンを楽しもうと思った。1時間59分、ワンカットワンカットを慈しむよいにして見た。
 見終わり、最終日にもかかわらず大勢入ってくれたお客さんを見送るようにロビーに立つ僕らは、誰からともなく「終わりましたね」と溜め息混じりに呟く。
 その夜は、フグの刺身を肴に乾杯。
 うまい酒だった。

野沢尚著書より




2009-03-12 16:46  nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
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映画館の扉から、観客たちが溢れたが [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館の扉から、観客たちが溢れたが・・・・

 1月30日。
 安田成美の船上結婚パーティーに行った。
 前半はバラエティーのノリ、後半は一転して泣かせ。実に感動的だったのは、彼女が両親に贈った『作文』だ。飾りのない文章で素直に感謝の言葉を綴っていた。あれは文学をよく読んでいる女性の文なだと思った。「私はもう大丈夫です……」のくだりで、招待客は涙した。
 真っ赤なドレスに身を包み、幸福の絶頂にいる彼女に、僕は4月からのドラマで脚本家として『いじめ役』になる。愛に渇いた主婦が売春の世界に飛び込み、恋人を見つけ、金で買う買われるの関係で不倫する。彼女の醤油コマーシャルのイメージを徹底的に崩すヒロイン像だ。2月に入ると、彼女とじっくり話さなければならない。どういう風に脚本を読んで来るのだろうか・・・・・・

 2月5日。
『ラストソング』の公開初日である。
 穏やかな晴天。マリオン9階の日劇東宝に行く。まだ40分前なのに客入れをしていた。すでに満員。扉から溢れている。
 僕にとって11本目の映画だが、初日にこんな光景を目にするのは初めてだ。この映画に3年以上を費やしてきたプロデューサーたちは、確かな手応えを感じる眼差しで続々と入ってくる客たちを見つめている。
 10分繰り上げて上映を始める。扉の所で背伸びしながらスクリーンを見ているお客さんの姿を見ているうち、涙腺が緩む。
 我々が作った物を、どうしても見たいと思ってやってきた人々なのだ、波らは。
 ニッキー・ホプキンスのジャズ・タッチのイントロダクションが始まり、スクリーンはギタ―を手にした吉岡君のアップを捉えた。

 批評がそろそろ出揃う。
 傾向としては、映画会社から純粋培養されてきた企画ということで意欲は買ってくれたみたいで、好意的ではある。
 否定的な論調としては、古臭くて気取りが多いというものが大半を占めている。
 僕らにしてみれば、どちらの指摘も確信犯である。
 この映画に眼らず、批評家たちの多くは、作り手たちが何を狙い、誰に映画を発信しようとしているのか、その点についての考察をなかなかしてくれない。狙いを理解した上で、その目的が台詞や演出や演技でちゃんと表現されているのか、そこを書いて欲しい。そこを読みたいと思う。
 この映画は好きとか嫌いとかいう感想文など読みたくない。
 作り手と批評家の間には、深くて暗い川が流れているのかもしれない。彼らは対岸で腕組みをして、こちらを眺めている気がする。橋を掛けてくれたら、もっと接近してくれたら、と思うことが何度となくある。
 だから、特に脚本について諭じられた時、本当にこの人たちは脚本を読んで語っているのか、と疑わしい思いにかられる。このコーナーで何度も書いているけど、完成した映画から『感じる』脚本は、脚本ではない。脚本とは紙の上に書かれた文章のことである。

 若い観客たちは、どんなシンパシーを受けただろうか。あるいは拒否感があったのだとしたら、何が災いしているのか。
 ある人は、この映画に描かれているロックはロックではないと言う。むしろ演歌だと。
 実際その通りで、ロックは3人の登場人物を引き寄せ、離すドラマにおける『入口』に過ぎない、と言ってもいい。ロックの世界の特異性を描きたい訳ではない。


 舞台挨拶も終わり、スタッフと3人の俳優たちは近くの中華料理屋に移動、簡単な打ち上げを行う。
「ノザワさんがサラッとした本を書くと、どうなるんですか」と本木君に聞かれた。どう答えたらいいんだろう。よっぽど今回の脚本は、彼にとってコテコテと油っぽかったんだろう。
 安田成美は、昨夜、連続ドラマの脚本を受け取ったと言う。が、その感想については一言も発しない。不気味だ。
 
 2日後、初日と日曜日の成績が知らされる。
 現状では3億円ラインの見通しだと言う。好発進とは言えない。テレビスポットが行き届いている都心部は良いが、地方の映画館に客が来ない。ややガックリくる。5億はいきたい。せめて4億。でないと、この種の映画の可能性がまた狭まってしまう。
 あとは口コミ効果がどれだけ利くか、平日の夜の回にどれほど入るか、にかかっている。
 祈る思いだ。

 2月8日。フジテレビで安田成美と4月番組についての話し合いをする。売春から始まる純愛物語に意欲を燃やしてくれている。
 5歳の子供との密着した関係性、母と息子だけの世界を加えてほしいと要望される。『マリリンに逢いたい』の頃もそうだったけど、物足らないと思うことはハッキリ「物足らない」と言う女優である。新婚でフワフワしてるんじやないかと思ったけど、細い体には1本固い芯が通っている。仕事人の顔だった。
 相手役は岸谷五郎。『月はどっちに出ている』で映画賞を総ナメにした、今、最も句の俳優だ。彼とは昨夜、食事しながらじっくり話し合った。
 豊川悦司とも、鴫田久作ともキャラクターの履歴を含めて話し合いは済んでいる。
 清楚な彼女を取り囲む径優三人。並んだ姿を想像し、少なくてもこれは『守り』に入ったドラマではない、と思う。
 が、大問題は、安田成美が部屋から去った後に待ち構えていた。
 企画の根幹に関わる問題をプロデューサーから知らされる。最悪の場合、僕がこの仕事から下りなくてはならない。
 今は多くを語れないが、この号が発売になる頃、僕のタイトルがちゃんと入った脚本でドラマの収録が始まっていたら、大問題は解決しているということだろう。
 とんがったドラマが作りにくい御時世、ということか。
 脚本を書いていて、不況の波を初めて実感した。不況だから大衆はてっとり早く娯楽を求め、テレビの世界は不況の時こそ繁栄する……なんて真っ赤な嘘だ。

 2月10日。公開後初めて映画館に『ラストソング』を見にゆく。
 渋谷宝塚の7時の回。連休前の最終回。ここでの客足で占えそうな気がした。
 客席でバッタリ、其田さんと事務所の女性二人に会う。夏目雅子さんを育てた、業界の紳士と言われる俳優事務所の社長さんだ。奇遇に驚き、4人並んで見ることにする。お客は7分入り。悪くないと思う。本当にこれで3億ラインなんだろうか。

 映画が終わると、其田さんに握手を求められる。60歳を越えた人間にも勇気を与えてくれる映画だという。渋谷の居酒屋で乾杯をする。特に本木君に対して、其田さんも、山本サンや菅野サンたち女性陣も、賞賛の嵐だ。
 これは、全ての観客とは言わないが、多くの観客の気持ちを捉えた作品ではないだろうか。過剰な表現があるかもしれない。しかし、日常的なリアリズムを楽しみたいならテレビを見たらいい。
 映画館には映画的なウソがあるべきではないだろうか。


野沢尚著書より




2008-12-17 07:55  nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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映画館を出ると、映画にふさわしい夕暮れだった [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館を出ると、映画にふさわしい夕暮れだった

12月22日、シネマアルゴ新宿の『ヌードの夜』2時40分の回を見て外に出ると、薄暮の南新宿の街があった。
 曇天の割れ目から、淡いタ暮れの光が落ちていた。
 傑作だったなあ、と思った。
 闇を縦に横に走るネオンパイプが目に焼きついている。キズだらけの男と女の抱擁が、しばらく記憶の底に澱みそうな気がする。
 脚本を読んでみる。
 とても描写が丁寧な脚本だった。脚本と監督を兼ねる人のホンというのは、概して淡白なものである。監督するのは自分なのだから自分だけが分かっていればいい、細かいことはスタッフ会議で説明するつもりなのか、あまり書き込まれないホンであることが多い。
 本誌2月号に掲載された脚本が完成台本でなく決定稿だとすれば、石井さんは本職の絵筆のように、1行1行、丁寧に物語を紡いだろう、と思わせる読後感があった。
 が、それでも映画には欠点があったように思えた。
 村木が名美の何に惚れ、死体の始末までしてしまったのか。何故、警察に事情を話せなかったのか。そのあたりの展開には無理がある。
 名美が平凡な結婚をしようとしているバツイチの男がうすっぺらである。この程度の男と結婚することが、腐れ縁の男を殺してでも遂げたい目的なのだとすれば、彼女にどういう男性観や人生観があるのか、もう少し知りたい気がする。
 「男なんて所詮こんなもんよ。だけどアタシは結婚するの。アタシはそれで幸せになれるの」という女の業がもっと匂っていたい。ただし、僕にはこれまで石井さんが作り上げてきた名美像というものに疎いので この指摘は当たっていないかもしれない。
 一応ケナすところはケナしたので、あとは絶賛の嵐といこう。

 この映画の良さは一口で言うと、情念の女と妄執の男が血みどろの抱擁に至るまでを、論理的整合性などというものはかなぐり捨てて一点突破で描ききった点だと思う。
 その作家的情熱の前では、先に挙げた二つの欠陥も致命的にはなっていない。
 ラストで名美は死ぬ。死んだ名美の塊が村木の部屋を訪れ、2人は結ばれる。事後、名美は血まみれの姿でベッドで横だわっている。救急車を呼ぼうとして、ふと振り返ってみると名美の姿はなく、ベッドには血溜まりがあるだけ。村木は茫然と立ち尽くす。
 こういうシーンは、シナリオ教室でつまらない論理的整合性を叩き込まれてしまった新人脚本家には決して書けない。僕だって書くとしたら勇気を要するだろう。
 亡霊との交歓。という風にくくってしまってもつまらない。村木の幻影、あるいは夢オチという風に描きたくもない。その中間線て、下らない説明はせず、敢えてあやふやなタッチで、それでいて叙情的に終わらせる。こういうことができるには余程の才能が必要なのだ。
 映画という娯楽で肝心なのは、スクリーンと観客の間を埋める『説明』などではなくで両者の間の『空気』なのだ、ということを僕は改めて勉強させてもらった。
 
 村木が名美を救うために拳銃を手に入れようとする。街のヤクザに頼むが金を持ち逃げされる。同級生のオカマに頼むが、袋叩きにされる。このオカマの同級生の豹変ぶりも絶品だが、1丁の拳銃を手に入れるまでにこれほどまでに苦労してズタボロになる主人公を、僕は日本映画でかつて見だことがない。
 そして、やっと手に入れた拳銃を試し撃ちする時の高揚感。その劇画的カッティングの素晴らしさ。
 何より美しいのは、名美を救い出した後の、雨の埠頭のシーンだ。
 コンクリートの橋脚が彼方に並んでいる。画面はゆっくりゆっくりトラックしながら、村木と名美の会話を常にロングで捉えている。
 これはアント二オーニだ、と思った。モニカ・ビッティとアラン・ドロンが『太陽はひとりぼっち』で彷徨う都会の荒涼を、この曇天鉛色のシーンに感じた。
 凄いのはこの後である。
 名美が車ごと海に突っ込む。カメラは海側にある。その手前に車が飛び込む。そして埠頭を追いかけてきた村木がダイビングして名美を肋け出そうとする。
 このカットを漫然と見過ごしてはいけない。
 この映画の撮影スタッフはかなり凄いことをしている。だって、海面で待機しているカメラに、ひょっとしたら車が突っ込んでくるかもしれないのだ。命がけの撮影だ。
 佐々水原さんというカメラマンが、ここまで映画に身を捧げるスタッフたちが、怖い。
 こういう仕事を見てしまうと、『車が埠頭を飛び出し、空を飛んで水しぶきを上げて海に突っ込む』なんてト書きは、ちょっとした筆の勢いでは書けなくなる。この1行でスタッフが命を落としたらどうしよう、と怖じ気づいてしまう。
 映画のエンディング・シーンで、僕は変な邪推をしてしまった。
 車が引き上げられる。クレーンによって海から上がってくる車から、死体の入ったトランクがドライアイスの煙を上げている。画面はロール・クレジットを流しながら、車に近づいてゆく。
 もしかしたら。
 名美がそこにいるんじやないだろうか。
 村木はあの時、名美を救出することはできなかった。その後の展開は全て、彼女を助けられなかった村木の幻想ではなかったのか。
 結末に胸加高鳴る。
 画面は最後、車のドアからからはみ出している名美のワンピースでストップする。
 やっばりそうだ! と僕は一瞬歓喜した。………が、それはヌカ喜びだった。
 脚本を読むと、それは破れたワンピースの切れ端に過ぎないらしい。
 こんな勘違いを僕にさせたのも、映画に一時たりとも油断できないような面白さがあったからだろう。

 最後に、93年総括の意味で。
 邦画ベストファイブ。今年見た日本映画は22本。

①お引っ越し
②ヌードの夜
③病院で死ぬということ
④夜逃げ屋本舗2
⑤僕らはみんな生きている

 高齢の批評家には評価の高い『学校』は見ていない。世代を問わず評価の高い『月はどっちに出ている』はもちろん見たけど、僕にとっては、この5本の方が面白かった。
 ①については以前に書いた通り。
 ②については前述の通り。
 ③は、何度か挿入される『人間の営み』のスケッチに作りの作為を感じたが、あとは重量感に圧倒される。ラストのナレーションでぼうだの涙になってしまった。
 ④の映画については、あの演出のメジャー感覚と脇役たちの妙を、どうしてみんなもっと評価してあげないんだろう、と思う。
 ⑤は、ああいう冒険を経てもちっとも人間的成長をしないヒーロー像に、一色選手らしさを感じた。

では、94年の日本映画は『ラストソング』で威勢よぐ始まってもらいましょう。


野沢尚著書より







2008-12-08 01:00  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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映画館に押し寄せる、視聴率30%のお客たち [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館に押し寄せる、視聴率30%のお客たち

 来年4月の連続ドラマの準備中だが、プロットを書いてるうちに映画の脚本1冊分の長さになってしまった。これで局のOKサインを貰ったら戦いの3分の1は終わったも同然だが、そこにニュースが飛び込んできた。
 ライバル局が同じ時間帯にドラマをぶつけてくるという。それも視聴率30%を続けている破竹の勢いのプロデューサーが敵。思えば木曜10時というのは、競争相手はニュース・ステーションだけという安定政権だった。そこにライバル局は切り込んできたという訳だ。
 今頃、僕の書いた分厚いプロットをしんどい思いで読みながら、一体このピンチをどう切り抜けたらいいのかと苦悩する人々の顔が目に浮かぶ。僕も一緒に苦悩すべきなのだろうが、連続ドラマの視聴率というものと格闘を始めたのはつい最近のことなので危機感がまだ実感できない。『高校教師』の脚本家なら、こういう時になると何か名案を考え出し、みんなの頼りになるんだろう。
 僕はわりとテレビドラマが好きだ。
 1月、4月、7月、10月……年に4回、連続ドラマが切り替わる時、ひと通り、第1回だけは見てみる。そこで判断して、2回目以降見るものを選別する。今年10月に始まったドラマの中でどうやら最終回まで見そうなのは、『あすなろ白書』『都合のいい女』『同窓会』の3作品である。どれも何故かホモセクシヤルが題材に使われている。
 男の女のラブストーリーにおける『かせ』がなくなってしまった今、もう同性間の愛に焦点を合わせるしかないんだろうか。あるいは、どこまでもエスカレートしなければ、刺激大好きの視聴者を満足させられないのだろうか。
 この頃、思うこと。
 視聴者は、テレビドラマに何も期待してないのかもしれない。
 自分の人生の指針になるようなドラマを見たい。つまらない日常を揺り動かしてくれるようなドラマを見たい。生きる糧にしたい。
 そんなことを考えてテレビに向かう視聴者が、どれだけいるんだろうか。
 近親相姦を扱ったドラマを見て「面白い」と言った女性がいる。僕なんかは、何も内田春菊の『ファザーファッカー』ばりの表現をしてほしいとは言わないけど、ヒロインのあのナレーションで、父親と寝てしまうまでの感情が主人公の恟に刺さるように説明されているとはどうしても思えない。でも、視聴者の彼女はアレでいいのだと言う。テレビドラマに文学なんて求めない。求めたくなったら本屋に行って倉橋由美子を買うからいい、と言う。
 かなり多くの人達が『見せ物』を見たがっているようだ。
 昔は違った。例えば『北の国から』と『思い出ずくり』が同じ時間帯でやっていた頃は、ちょっと違っていたように思う。
 美しくも艮しい禁断の愛が描かれているから見るのが半分、テレビという見せ物小屋でとにかく何か見せてくれそうだからチヤンネルを合わせるのが半分、視聴率30%の実体は案外そんなものである。
 そもそも、テレビはついてて当たり前なのだ。食事していても、子供と遊んでいても、とにかくテレビはそこでついている。視聴率の調査機械が置かれてある家庭は、国民の代表という意識でひょっとしたら襟を正して見ているのかもしれないが、大抵の家庭では、職場労働や家事労働や受験勉強に疲れた人々が漫然と時を過ごす時にテレビを必要としている。
 「おいおい、そういう台詞吐くかあ?」
 「嘘だろおい、いきなり殺すかあ?」
 とテレビに向かって茶々を入れるのも、今のドラマの見方だ。Jリーグやナイターを見るのと大差ない。そういう場合、優秀な脚本家の脚本にたまたま練りが足らなくても、結果的に、それさえも視聴者を喜ばす小道具になってしまう。
 優秀でない脚本家予備軍にとって、今ほど楽にデビューできる時はないのかもしれない。
 コンクールで入賞してこの世界に入ってきた新人たちは、「視聴率を取るには、まず身体障害者の子供を登場させることだ」とプロデューサーにいきなり言われて、ギョッとなんかしちやいけない。
 足の不自由な少年が車いすから転げ落ち、父親の許へと涙ながらに這いつくばるシーンを、それがドラマの本線であろうがなかろうが、社会福祉についての問題意識があろうがなかろうが、照れずに、本気で面白がって書かなければならない。
 こういう風潮の中で、出来るかぎりの人生論をドラマでやりたい、と気負う僕のような脚本家は、プロットにおいてペラ250枚の説得材料を必要とする。
 
 公開間もない『高校教師』を渋谷宝塚に見に行った。
 死ぬほどお客がいる。視聴率30%を代表するお客の顔をそこかしこに見ることができる。
 彼らはイベントに参加してきた。年に1度しか映画に来ない彼らは、こういう時のために1700円を取っておいたのだと思えるほど、ワクワク胸がはずんでいる様子が手に取るように分かる。
 何だかんだ言いながらテレビ版のファンであった僕も、彼らの期待する気侍ちはよく分かる。森田童子の音楽と真田広之のナレーション。あのもの哀しい語り口は最近のドラマの中では比類のないものだった、と思い返す。
 渋谷宝塚の壊れそうな椅子に座った。
 そして映画が始まった。
 そして映画が終わった。
 
 以下は、単なる金を払って見た観客としての感想である。映画の関係者の方々はあまり気にしないで読み飛ばしてほしい。
 僕はノレなかった。
 この映画は一言でいうと、病気の主人公が、それよりもっと病気の人間たちに抹殺される物語だった。どの人間も悲劇的だけど、何故かその末路は悲しくない。狂った人間たちに見合ったトラウマが、あまりに行儀よく配置され説明されるからだろうか。
 例えば、荻野口慶子の音楽教師は、生徒の部屋をビデオで監視する偏執狂だ。どうしてそんな女になったかというと、夫に完全な妻を要求されて苦しんだ、という前歴が修羅場の中で説明される。これは人物造形における最低限度の原因説明である。いい脚本には完全な妻とになれなかった女からビデオ監視の偏執狂の女になるまでに、あと一つ巧みな説明があのでは、と脚本家でもある観客はつい思ってしまう。
 オーディションではきっと光るものを見せたんだろうけど、ヒロインの新人女優にまったく魅力を感じなかった。
 彼女に父親をピストルで殺して家の庭に埋めたという過去があるのなら、女子寮なんかに入れさせないで、ジョディー・フォスターの『白い家の少女』を、あの高校教師との関係でやればいいのに、と思った。
 鈴木杏樹が後ろから高校教師を刺すくだりでは、僕は心底驚いた。だけど視聴率30%のお客たちは、驚くかわりに笑ってウケていた。彼らの方が楽しみ方を心得ている。
 映画が進むにつれて、本当に彼らはよく笑う。
 まだ映画を見ていない人も多分知っていると思うけど、この映画はコメディではない。

 ともあれ、この映画の興行的大成功で、テレビの連続ドラマが映画になったり、テレビドラマ的作法で映画が作られる、そういうことに可能性を感じるテレビ製作者が増えるかもしれない。
 それは歓迎するとして、映画会社から企画力や宣伝力が失われていくとしたら、ちょっとヤバイ気がする。


野沢尚著書より


2008-12-01 01:00  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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映画館のために、小説を料理すること [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館のために、小説を料理すること

 過去に実現しなかった仕事を振り返る、そういう機会があった。
 伊集院静・作の「乳房」は、2年前の春の段階で、原作権は競売状態にあった。
 NHKエンタープライズと松竹製作によるハイビジョン映画の企画として、僕は黛りんたろう監督と組んで『乳房』の脚色を始めた。原作者との権利獲得交渉は途中であったけど、僕等は原作の魅力に引きずられ、せっかちにもハコ作りまでやってしまった。
 4月、桜が散った頃、東京近郊のガン病棟へ取材に行った。その時の記憶は今でも脳裏に焼きついている。
 院長先生のご好意で入院病棟を見せてもらえることになった。ただし患者たちは部外者に敏感なので、医者に変装してほしいと言われた。貸してもらった白衣を着て、僕と黛さんは院長の後ろに付いて廊下をめぐり、病室を覗いて回った。
 1人の少女がいた。17歳ぐらい。陸上選手のようなしなやかな体軀を、可愛いパジャマに包んでいる。院長が「あの子は白血病です」と耳打ちしてくれた。その瞬間、少女と目が合った。偽医者の僕たちを「どこの先生だろう」という目で彼女は見ていた。
 あの眼差しが忘れられない。
 あれから2年たって、少女はまだ生きているのだろうか。
 思えば『乳房』は、連想ゲームのように、様々なインスパイアを与えてくれる素材だった。
 あの短編を2時間サイズの映画にまとめるためには、オリジナルによる補足が多く必要だった。他の伊集院作品のエッセンスも加え、夫婦の恋愛劇としての厚みをどう加えるか、原作の一行一行から発想を広げようとした。
 まず、この夫婦関係を定義する。
 夫は照明マンとして『光』を創る人間でありながら、病室の妻に『光』を当てられない自分の無力さを痛感した。しかし妻は不治の病でいながら、男の心に潜んでいた優しさに精一杯の光量で『光』を当てることができた。
 キーワードはどうやら『光』だった。
 憲一と里子はオペラの照明もやる。ベートーベンの『フィデリオ』は夫婦愛を描いた歌劇である。
 新婚旅行は奈良だった。中秋の名月が池に映る。幻想的な観月の祭。
 憲一は幼い頃に海で弟をなくした。捜索に出掛けた海にクラゲの光を見た。それが光の原体験。クラゲの光は死の光だ。
 入院中、日食が起きる。憲一も里子もセロファンを目に当て、欠けてゆく太陽を仰ぎ見る。みるみる辺りは暗がりになる。鳥がざわめく。光がなくなる世界で里子が始めて死に恐怖した。
 病床の妻を死ぬ時まで撮り続けた荒本経惟の写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』も参考になった。
 イメージが先行する作劇ではあったけど、わりと野心的な脚色になりつつあった。
 しかし結局、映画化権がどうしても獲得できず、 このハコ書きは2稿まで上げたところで作業凍結となった。
 僕も黛さんも意気消沈した。気を取り直して、次に三島由紀夫の『春の雪』に挑んだが、これも原作権交渉の段階で挫折した。そしてNHKエンタープライズと松竹のプロジェクトは『RAMPO』へと移つていった。泥沼のようなトラブルには、僕は一応巻き込まれずに済んだ。

 渋谷エルミタージュに出掛けた。
 自分が2年前に格闘した素材を、根岸さんチームがいかに映像化したのか、興味は尽きなかった。
 結論から言うと、1時間バージョンの『乳房』映画化は、原作に忠実で、印象としてはおとなしいが、随所にうまさを感じさせる脚色だった。
 例えば、里子がが始めて白血病の発作に襲われるくだり。
 憲一と近所に豆腐を買いに行く。豆腐屋のおばさんが今日に限って元気がない。里子は何かあったのでは、と思う。すると数日後、豆腐屋の親父が死んだ。2人は喪服で通夜に出掛け、里子の勘の良さに憲一は関心する。そこで里子は発作に襲われ、路上に崩れ落ちた。
 死の匂いを嗅いだ帰りに、死の兆候に見舞われる。
 原作の小エピソードを見逃さず、効果的にドラマの本線へと繋げている。こういうのがプロの脚色だと思う。
 現実と過去を行きつ戻りつする憲一の描写にも、面白い表現がある。
 憲一は妻の着替えを取りに自宅へ戻る。庭先に里子の幻影を見る。憲一という名の犬を抱えて笑っている。憲一は洗濯をし、妻の下着を軒先に干しながら、幻想の妻と会話をしているかのようだ。この後、前述した豆腐を買いにゆくシーンに繋がる訳だけど、妻の幻想と散歩しているかのようなモンタージュに観客は眩惑される。演出に、客を眩惑させよう、というあざとさがないのがイイ。白血病の妻を抱えた男の不安定感も漂っていた。
 映画化に際して、原作にはないエビソードも加えられているが、その点については効果的とは言えないような気がする。
 友人夫婦と旅行するくだり。
 憲一は友人の妻から愚痴を聞かされる。夫と憲一の友情の絆に勝つことができない、という意味のことを友人の妻は言い、いきなり憲一にキスして「今度寝よう」と言う。それを里子が遠くから目撃してしまうんだけど、このシーンの締め括りは「いろいろあって男と女ってことだよね」という里子の台詞である。
 憲一の無頼ぶりと、里子の子供っぽさ。その2つとも別のシーンで充分に表現されている。友人夫婦との対比で主人公夫婦の何か表現されたのだろうか。
 そもそも『乳房』という小説は、できるだけ二人芝居で押し通すべき素材だと思う。
 傍系人物に厚みをつけることで主人公を照らすという作劇のようだけど、上映時間1時間という制限の中では、核心の2人のドラマでやるべき事が他にもあったような気がする。
 ラスト、寛一が初めて涙を見せる。
 デートクラブの女と寝ようとしたができなかった。どんな男も受け入れる健康な肉体を前にした時、病気の妻が哀れでならなかった。病室に戻って来ると、里子が髪にリボンをつけて帰りを侍っていた。
 「帰らないと思った。その方がパパらしいから」というオリジナルの台詞は泣ける。
 ところが、この直後に憲一が妻のすぐ後ろで泣いてしまうことで僕は泣けなくなってしまった。
 憲一は懸命に嗚咽を隠すのだけど、ベッドの里子に気付かれるのではないか、と見ている僕は気が気でない。憲一の泣き声を聞けば、自分が不治の病であると里子は勘づいてしまう。あれは聞こえる距離である。
 憲一が堪えきれなかった感情吐露は、原作のように病室ではなく廊下で、なるべく里子との距離感が必要だったのではないか。
「自分に対する憤りと、見えない何者かへのどうしようもない怒りがこみ上げて、拳を握り続けた」という原作の描写は、憲一が里子に接近していればしているほど、ただ目の前の妻が哀れ、という小さくてウェットな感情に流れてしまうのではないか。
 無頼の主人公の涙が描かれる揚面だけに、どうしても気になってしまった。


野沢尚著より


2008-11-17 13:09  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(1) 
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映画館まであと4か月 [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館まであと4か月

 夏風邪の後遺症で空咳が2か月続き、ヴイックスドロップがないと人と話ができない有り様で、3か所の医者で処方された薬を飲み続けたために今度は胃を荒らし、急性胃炎になって近所の救急病院に駆け込んだ。「痛いよ、痛いよ」と布団にくるまって泣いたのは20年ぶりだろうか。更に餃子食べていた時に歯が欠け、どうやら内側から虫歯になって溶け出したらしく、神経を取らなければならない歯が3本も見つかった。これまた苦痛の日々である。
 今年春から準備をして夏に書き上げたある映画脚本は、スポンサー・サイドの懲罰ものの大チョンボによって流れつつあり、もう1本ハコ書きまで終えていた映画企画も主演男優の心を動かすことはできずボッとなった。今年下半期の勝負作と気合いをいれていた2時間ドラマも、主演女優サイドの視聴率至上主義によって実現不可能となった。
 ここまで悪いことがよくまあ続くものだ、と思う。
 どうやら史上最悪の秋になりつつあるが、場末の酒場でクダも巻かずに精神状態を保っていられるのは、完成したての映画『ラストソング』のお蔭である。
 2年前の春から脚本作りを始め、博多や日本海沿いのシナハン旅行を重ね、延べ10数人の音楽関係者の取材をし、8回の改訂作業でやっと決定稿を出したという仕事だった。
 監督は杉田成道さん。『北の国から』などで知られるフジテレビのディレクターで、以前に2時間ドラマでご一緒したことがあった。
 この映画製作は、今の日本映画界における一種の美談だと思う。
 東宝宣伝部の中川敬氏が、数年前『優駿』で監督と仕事をした時、「わが子に10年後に見せて、一緒に語り合える映画を作りたい」と酒揚で話したことが始まりだったという。そこに監督の朋友であるフジテレビの山田良明氏が加わり、この仕事がプロデューサー・デビューとなる東宝映画調整部の瀬田一彦氏が参加、やがて僕が脚本家としてご指名にあずかった。
 最初の1年目は、この仕事はひょっとしたらホン作りだけで終わってしまうかもしれない、と気持ちのどこかで覚悟していた。それほど、この仕事は映画青年たちの夢に満ちていた。夢を見れば見るほど実現の可能性は希薄になっていく……というのが現在の映画界の常であるからだ。
 実際、僕が知らない場所で脚本が埋もれてしまうような局面がいくつもあったようだ。その度に持ちこたえることができたのはブロデューサーの熱意による。中川氏は幾度となく「死ぬまでに1本、映画をプロデュースできれば本望」と言っていた。
 やがて完成。9月22日ゼロ号試写を見た時、やっと自分にも「オリジナル脚本の代表作はこれです」と胸を張って言える作品ができ・・・・・・と思った。
 たとえ『映画芸術』の覆面脚本家に皮肉られようと、観客嫌いの某映画評論家がこの映画に泣く観客を小馬鹿にしようと、報知新聞と週刊文春の星取り表が全部1つ星だったとしても、僕はこの映画を誇れる。
 この映画は観客に媚びていない。青春映画だが、現在の青春を謳歌している若者たちにスリ寄ってはいないし、風俗という弱い地盤に立っている物語でもない。そのため、見る人によっては「古い」と一言で片づけるかもしれない。僕は「普遍的」という言葉を使いたい。その意味で、監督や中川氏の当初の目的通り、 この映画は僕にとっても10数年後の子供たちに贈る手紙になった。
 公開まであと4か月。僕が今こうしてフキまくっていることがその通りか、どうか映画館で確かめてほしい。
 さて公開に先立って、映画は第6回東京国際映画祭インターナショナル・コンペティションに出品された。
 結果は新聞報道で御存知の通り、主演の本本雅弘君が最優秀男優賞に輝いた。
 確かに彼の演技は素晴らしかった。撮影にお邪魔した時、彼はしきりに、このロックスタアの男っぼい台詞を喋るのが恥ずかしいと言っていた。清水の舞台から飛びおりるつもりでテンションを高くしてカメラの前に立ったのがよかったのかもしれない。傲慢で尊人てそれでいてスタアの夢から転がりおちてゆく男の悲しさは、見る者を涙させる。 『蒲田行進曲』の銀ちゃん以来の、魅力あるハイテンション・キヤラクターだと思った。
 10月1日上映の当日。オーチヤードホールの2階指定席。僕は杉田監督とお客様の田中邦衛さんに挟まれ、背後には市川崑監督がいらっしやるというモノ凄い場所で、3度目の鑑賞にもかかわらず、『ラストソング』にまた泣いた。この性格が直らない。自分の作品を見て過剰に反応する自己愛。
 東京国際映画祭に自分の脚本作品が正式招待されたのは、実は2度目である。
 最初は4年前。『ラッフルズホテル』という映画。期しくも、あの時の主演俳優も本本君だった。映画が始まって数分ぐらいして、外国人記者の間から失笑が聞こえた。僕はその時のオーチャードホール上映で、初めてあの映画を冷静に見ることができた。紛れもない失敗作だと思った。しかも自分の仕事の領城外で失敗になったことが、悔しかった。エンドタイトルにプロデューサー名と監督名が英語字幕で出る。僕はその時思った。やめてくれ。どうか脚本タイトルは出ないでくれ。国辱モノの出品作品と言われたこの映画の責任は、奥山さんと村上龍のお2人で取ってくれ。外国の方々に、この映画で僕の名前いを覚えてほしくない。
 しかしやっぱり出てしまった。そういう悪い記憶があったから、僕の脚本で本本君の主演というのが、『ラストソング』にとって変なジンクスにならねばよいが、と思った。どうやら4年前の厄払いは済んでいたようだ。最近、八雲の氷川神社は僕の味方なのだ。

『ラストソング』のゼロ号を見た日に、前々から話がありながら断り続けてきた小説化の話を引き受けることにした。
 脚本家とは一番仕事が早く終わってしまうスタッフである。撮影中も寂しい。だからこそ、仕上がりの素晴らしさを見た時には、これから1人歩きするものとして手放すのではなく、もう少しこの作品と関わっていたいと思う。
 だけど、すでに終わった仕事に再び1から取り組むということは、相当のエネルギーを要する。この映画の完成度が、情熱を与えてくれたのである。小説は9月末から始め、実働11日でペラ400枚を書いた。何かに取り憑かれてキーを打ち続けたとしか思えない。
 スティーヴン・キングの足元にも及ばないだろうけど、映画では描ききれない登場人物の内面描写に心血を汗いだつもりである。
 
 僕らの世代の作家はフジテレビと仕事しても共同作業という形でうまくやれる、それは何だろう……と先輩作家は考えるらしい。
 共同作業の実際については一般論では語れないと思う。ましてや「こいつらは仕事相手と喧嘩をしたくないヤワな世代なんだ」という世代論でくくられたくもない。
 誰から出発した企画なのか。そこでまず情熱の力関係が決まる。
 製作規模による締めつけはキツイのかユルイのか。それによっても共同作業の枠組みは違ってくる。
 それぞれの得意技は何なのか。例えば作家の真骨頂がストーリー・テリングならば、プロデューサーが作家を雇った時点でその能力を期待され、いい仕事ができる環境と猶予を与えられたはずである。監督やプロデューサーたちとの『見合い』さえ間違ってなかったら、脚本作業におけるお互いの得意技は尊重されるはずである。共同作業というのは、心優しい譲り合いとは違う。
 物語全体のバランスと相手の得意技を考えた時に、問題点について100%こだわって突っ張るか、60%こだわって相手の声に聞く耳を持つのか、そういう判断を、変な意地に振り回されないで持ち続けることではないか。
 実際、改訂作業の現場になれば、シーンの連鎖や台詞の1つ1つに、脚本家と監督にはそれぞれの思い入れがある。局面局面によって、作家も監督も、狼になったり羊になったりするのである。
 小説『ラストソング』は12月半ばにも出版される。脚本の改訂作業でそぎ落としたことを復活させた、ある意味で、『原作』と言えるかもしれないこれを読み、次に映画をご覧戴き、合わせて出版されるシナリオ決定稿も読んで戴ければ、局面局面における僕と監督との綱引きがいかに行われたのか、少しは分かってもらえるんじやないだろうか。

野沢尚著より


2008-11-06 15:59  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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映画館から失われる1つのブランド [「映画館に、日本映画があった頃」]

映画館から失われる1つのブランド

 角川映画の終焉らしい。
 76年の『犬神家の一族』に始まって、70年代後半から80年代にかけて、角川映画は日本映画の主流だった。
 今回の社長逮捕劇でコメントを求められていたある映画評論家は、大量動員、物量作戦で批判能力を持たない若い観客を映画館に引きずり込み、それが日本映画を破壊した、という意味のことを言っていた。
 僕が『犬神家の一族』を見たのは高校1年、あのおぞましい映像美は刺激的だった。『人間の証明』も『野生の証明』も、日本映画にもこんな豊かな、アメリカ映画に限りなく近い大作があったのか、と映画の大量宣伝を見てるうちに錯覚し、映画館に割引券付きの角川文庫のしおりを侍って足を運んだ。見終わった後、どこかはぐらかされた気分ではあったけど、批判能力を持だない僕らは「まあいいか」と簡単に許せて、入場料返せ、なんて言わなかった。
 豊かな時代だったのだ。
『獣死すべし』には衝撃を受けた。痩せ細った松田優作の顔立ちに、本物の狂気を見たような気がした。
 そして映画の仕事を目指そうとしていた頃、角川映画は最盛期を迎えていた。新宿東急で『探偵物語』と『時をかける少女』を見るのに、どれだけ苦労したか。長蛇の列が続き、上映1時間前に並んでやっと席に座れた。その頃の僕は、その評論家が言う、映画館に引きずり込まれた観客の1人であったかもしれない。で、そこまでして見た価値はあったのかと思い返すと、やはりちやんとあったと思う。
 評論家はテレビで「映画の質としてはどれも低かった」と述べていたが、それは納得できない。どこが質的な合格ラインかによるけど、角川映画が質的にも日本映画をリードした瞬間は、確かにあったと思う。
 例え角川映画が大衆娯楽の域にとどまっていたとしても、日本映画におけるその位置づけを語らないのは片手落ちではないだろうか。
 角川映画が現れるまでの70年代半ばといえば、日本映画は『男はつらいよ』と『トラック野郎』と百恵・友和……言わば中規模のプログラム・ピクチャーで何とか体裁を整えていた。ひょっとしたらその頃、日本映画は「もう作るのやめたい」という気分だったかもしれない。そこに角川春樹が登場した。要するに、リスクを背負って映画を作ろうとする彼の情熱(広義の意味で)を、日本映画は徹底的に利用したのだ。そして、惜しげもなく金を注ぎ込んでくる門外漢に、ただただ圧倒された。
 極論すれば、角川映画にすがることて日本映画はその後の10年以上を、騙し騙しで存続できたのだ。
 今のこの程度の存続なら、その頃に壊れていた方がよかった・・・・と斜に構えて言う人がいるかもしれないけど、あの一群の映画があってこそ、花開いた才能もあったはずだ。角川映画に対するアンチテーゼとして、マイナー・リーグから現れた映画作家も一方でいたはずだ。
 で、今、日本映画はどうなっているのか。
 角川映画はなくなる。角川さんのキャラクターと一脈通じていた奥山さんは現場から一歩退いた。伊丹さんの映画も峠を越えたような気がする。製作費二億円台の中規摸作品は、昨年の秋からことごとくコケている。かろうじてアニメだけ。
 誰がこれから先導していくんだろう。
 脚本家にその可能性がめるのだろうか。
 一色選手がアジアと90年代のカルチャーをくすぐりながらコメディを作る。野島選手がテレビで当てたことを映画館に持ち込んでティーンを集める。
ノザワが何だかよく分からないけど、とにかく仕事をする……それで何かが変わるのだろうか。
 どうやら、狂人であろうが径人であろうが、角川さんのような、何かに取り憑かれてリスクを背負っちゃう人間を、日本映画が再び利用しない限り、この状況は変わらないような気がする。そういう人間が登場して、また日本映画はこれから10年間を騙し騙しで続くのだ。
 リスクを一身で背負った文字通りの『危険人物』がもう現れないのだとしたら、日本映画はギリギリまで耐え続け、ある目突然、自民党のようにコロッと倒れてしまうんだろうか。
 日劇東宝も、丸の内松竹も、渋谷東映も、ある日を境に洋画の上映館になるのだろうか。
 邦画の上映は春夏秋冬休みのアニメ番組だけて、毎年暮れの各映画会社のド派手なパーティも恥ずかしくてやれなくなり、来年度のラインナには配給するハリウッド映画が並び、日本アカデミー賞も視聴率低下を表向きの理由に打ち切りとなり、各種映画賞も「今年も本数微少につき、該当作なし」となるのだろうか。
 一度そうなった方がいいのかもしれない。
 徹底的に駄目になった時に出てくるものが、本物なんだと思う。

 さて前置きが長くなったけど、『REX恐竜物語』である。
 9月4日の土曜日。渋谷松竹セントラルに見に行った。そこはさながら遊園地である。子供たちが通路を走り回る。父親が客席で記念写真を撮っている。
 この映画について質を論ずることは、誰も必要としていない。今朝 フジテレビの情報番組で角川事件に触れて、猪瀬直樹が「とにかくあの恐竜映画は幼稚で話にならない」と声をひきつらせて言っていたけど、『REX』の作り手たちはハナっから猪瀬直樹のような知識人に見てもらいたいなんて思っちやいない。
 この映画は小学生以下を相手にしている。子どもと恐竜のじゃれ合いを延々と見せ、悪役は分かりやすく黒ずくめで、子供と母親の和解はとにかく抱き合うことで収束する。そういう『形』だけを子供に理解させるのが、この映画の使命であった。
 客席でぐるりと回りを見渡して、喜ぶ子供たちの声を聞き、その使命は充分果たしていると思った。
 ただ1つ知りたかったのは、映画の底に見え隠れする角川監督の『ある本心』についてだ。
 『REX』で監督が描きたかったのは、一言でいうと、母親への慕情だったと思う。恐竜と子供の疑似母子関係が、子供とその母親との関係修復の橋渡しになるというのが、基本的な購造である。
 角川さん個人にどういう母子関係があったのか、満たされていたのか満たされていなかったのか分からないけど(テレビの情報によると、そこにあの人の人間的欠落点があるという言い方をしていたけど、そんなことがお前らに分かるのか、と言いたくなった)、母への慕情という『本心』を、じっくり腰を据えた私小説的な映画では描かずに、大甘の子供映画という形でしか描こうとしなかった大衆娯楽映画作家の悲しい性が、僕は痛々しくて切なかった。
 巨大なメディア・ミックスという足枷を、自分で自分の足に嵌めてしまった人の映画なんだと思った。
 角川さんが将来社会復帰し、再び映画を撮れる環境になったとしたら、是非撮って欲しい映画がある。
 製作費は3億ぐらいて文庫本の売れ行きなどは気にすることなく、宣伝費もわずかしかなく、テレビに出演して「俺はヒーローなんだ」と言わなくてもいい環境で狭くて祖末なスタッフルームだけどベストスタッフを揃え、清らかな映像美に満ちた『母を訪ねて三千里』をこの人に作ってもらいたい。
 泣ける映画になるような気がする。



2008-10-28 13:53  nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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