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映画館に何故、愛着を感じなくなったか ② [「映画館に、日本映画があった頃」]

10/20よりつづき

映画館に何故、愛着を感じなくなったか ②

 決定稿は時間的に長い。しかも津川氏はまだ納得していない。だから撮影台本という形で、現場サイドでホンを直させてもらう。筆頭プロデューサーの申し出を、いくら疲れきっていたとはいえ「好きにして下さい」と簡単に受け入れたことが最大の誤りだった。最後の最後まで現場に張りつく形で抵抗を重ねるべきだったのだ。
 すでにクランクインしている8月4日、撮影台本を受け取った。
 時間的制約からシーンを削ること、津川氏の要求を飲んでエンディングの形に手を入れること、改訂ポイントはこの2点だけだと思っていたら、違った。
 一度読んで、頭に血が昇った。クレームをつけるならばもう一度ちゃんと読んでからにしようと思い、3日寝かせてから再読した。
 二度読んでも三度読んでも、このホンで作られる映画に脚本クレジットされるのはたまらないと思った。
 撮影所の佐藤プロデューサーに電話して、ホンについていいたいことがあるので筆頭プロデューサーにも同席してほしい、と申し入れた。
 向こうもそれを望んだ。撮影台本はさらに更に現場で直しが加えられている、日々ホンと格闘している、なんとか力になってほしい、と佐藤ブロデューサーは言う。
 僕は撮影所に乗り込む前に、問題だと思う台詞に赤線を引く。それは屈折した歓びだった。ホン作りの時は僕の原偏にイヤッてほど線を引かれた。今度は俺が線を引く番だ。 そんな下らない快感に震えていた。
 一言で言えば、、その台本は甘い精神論で締め括られていた。苦境に対して奮闘努力する人間たちを、これほど稚拙な表現はないと思える台詞で単純に描いていた。
 もし筆頭プロデューサーと再び戦いになったら、もしこちらの意見が通らなかったら・・・・・そういう場面も先読みして、僕は最後通告を用意した。
 「分かりました。このホンでどうしても作ると言うなら、脚本クレジットをこうしてドさい」と啖呵を切るため、撮影台本の最後のメモ欄にこう書いておいた。
 『脚本・野沢尚/潤色・株式会社東映』
 脚本は確かに書いた。それを改悪した責任は筆頭プロデューサーを抱える東映にある、という言外の主張である。
 8月17日、撮影所に乗り込んだ。
 ところが戦闘意欲は肩すかしとなった。筆頭ブロデューサーも、こちらの意見1つ1つに納得し、善処することを約束してくれた。
 一矢むくいた、この映画は決して悪い万向には向かわないと実感し、やっと重い荷物を下ろした気分で大泉を後にした。
 ところが、荷物は下りていなかったのだ。
 10月13日、丸の内の東映本社試写室で初号プリント見た。
 「頼む、頼むから最後まで持ちこたえてくれ」
と祈りながら見続けた結果・・・・痛感する羽目になった。
 事前にラッシュを見ておくべきだった。その段階で怒り、あのクレジット案を差し出して啖呵を切るべきだった。
 裏切られた。誰にもそういう悪意はなかったにせよ、結果的に、僕は騙された。撮影台本への異義申し立てによって改浪された部分はほんの僅かだった。
 責めるべきはあの筆頭プロデューサーでもなければ、監督でもない。疲れ切って、脚本という仕事に絶望しきる暇があったら、ちゃんと最後までフィルムをチエックし、現場のヒンシュクを買おうが自分の身を守るべきだったのだ、俺は。
 こういう苦渋を舐めるのは何度目だろうか。
 いつになったら俺は懲りるのか。
 実は、初号を見た直後はさほど悪い印象はなかった。もっと悪い形を想像していたせいだろうか、試写後、佐藤プロデューサーと野村ブロデューサーと話した時、正直に感想を伝えたものの、激烈な調子ではなかった。しかしお2人の苦労をねぎらって別れ、宵闇の丸の内を1人歩きながら、自分に対してむしょうに腹が立ってきた。
 違うだろ。もっと言いたいことかあったはずだろ。どこまで人がいいんだお前は。今からでもタイトルクレジットの部分をブリントし直して欲しい、何故そう言えなかったんだ。苦労をねぎらったりするな。彼らの苦労なんて知ったこっちやない。肝心なところで怒れないお前に、そもそも脚本家を続ける資格なんかないんだ。
 これじゃ永遠に、本物の脚本家にも、本物の小説家にもなれっこない。薄ぼんやりとしたポリシーを抱えたまま右往左往するだけの、ただの作家もどきだ。
 死んじまえ。
 その夜はドン底だった。

 筆頭プロデューサーは決定稿が出来上がった時、言った。それ以後も何度となく開かされた台詞である。
 「この脚本は野沢ドラマとしては成立している。しかしこのままでは映画にできない」
 野沢の語り口や、テンボ感や、原作にはない発想・・・・・そこまでは生かしてやったが、細部で食い違っている。台詞の1つ1つ、ト書きの1つ1つに、見え隠れ『野沢らしさ』が邪魔でしょうがない。
 僕の文章に引かれた線の数々は、彼が「うるさい、黙れ」と言っているように見えた。
 この勝負はどちらが勝ったんだろう。筆頭ブロデューサーは、僕の『土台となるホン』をベースに、撮影台本という段階で思い通りの改訂作業ができたことで辛勝したのかもしれない。
 初号から1週間後の完成披露試写会。舞台挨拶に立った監督は言った。ホンには度重なる現場直しがあり、毎日の改訂作業で苦労した筆頭プロデューサーが功労者である、という意味のことを。
 そういうコメントを聞かされる脚本家の気持ちを、監督は知っていただろうか。ホンが現場で直さなければならないほど問題があった。百歩譲って揚揚直しが改悪でなく改善だったとしても、800人の前で脚本家に聞かせる言葉だろうか。
 ともあれ、筆頭プロデューサーぱ今、どんな感慨でこの仕事を総括しているのだろう。先月号でコメントしてほしかった。しかし書いてくれなかった。どうして何も言ってはくれないのだろう。

 では僕が説明する。どんな批詐家よりも的確にこの映画を捉えてみせよう。
 『集団左遷』とはこういう映画だ。

つづく 


2009-10-23 21:34  nice!(2)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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コメント 1

gyaro

①の続きは、こういった展開だったのですね。。。
③をこれから読ませていただきます^^
by gyaro (2009-11-09 04:24) 

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