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映画館はまだ遠い・・・② [「映画館に、日本映画があった頃」]

6月16日のつづき
(※「映画館はまだ遠い」の章は長いので分割掲載とさせていただきます)

映画館はまだ遠い・・・②

 ところが1ヶ月後、問題が起きる。
 黛氏は1人で脚本を直せなかった。松竹の社員でもあるライターの榎氏が参加したということを事後報告で知る。
 もちろん僕が下りた後の脚本に誰がどう手を加えようと自由なのかもしれないが、事後報告はないだろう、と思った。僕は曲がりなりにも共作者のはずだ。
 更に驚いたのは、もう1人脚本タイトルに名前が入っている。奥山氏だ。
 僕は松竹側のプロデューサーに問う。「奥山氏は本当に脚本を書いたのですか」と。
 どうやら自分でペンを持って、200枚の原稿用紙を埋めた訳ではないらしい。
 僕は言う「脚本を書いてない人と脚本タイトルに並びたくありません。僕の名前を外して下さい」と。
 そんな発言になったことには、背景がある。その2年前、僕は『その男、凶暴につき』と『ラッフルズホテル』という仕事で、両監督によって脚本をズタズタにされた。それでも前者の作品は何故か傑作になった。が、後者の作品は惨憺たるものだった。その結果作家として責任を持てない以上、僕は自分のタイトルを外すべきだったのだ。
 その後悔をトラウマのように引きずっていたから、次にこういうトラブルが起きた時は、ちゃんと自分の身を守ろうと思った。
 自分が外れることでその作品が確実に駄目になると判断したら、名前を残してはならない。
 2週間後、松竹に呼ばれる。奥山氏、榎氏、黛氏と全員集合だ。
 奥山氏は言う。原稿用紙に字を実際に書いたかどうかという点は重要ではない、と。
 僕は納得できない。
 実際に字を書いたかどうか、それが脚本家にとっては重要なのだ。
 脚本家の命は文章だ。どれだけ素晴らしいアイデアを考えつくか、だけでなく、考えついたアイデアをどれほど素晴らしい文章にできるか、が脚本家の仕事である。
 「脚本料は戴きます。名前は外して下さい」
 それが僕の結論だった。
 以後、奥山氏が実際に脚本を書いたかどうかは知らない。しかし今、完成作品に堂々と名前を記しているのだから、奥山氏の自筆原稿が存在することを信じている。
 こうして、僕は『RAMPO』という仕事から遥か遠ざかった。
 その年の秋、映画がクランクインしたと風の便りで聞く。
 年が明けて、この映画にまつわる話題がセンセーショナルに伝わる。奥山氏が完成した映画に不満で自分の監督バージョンを製作すると発表した。
 僕は後に、奥山氏と黛氏、それぞれから話を聞いて、大体の内情は知ることができた。
 奥山氏とはもう10年の付き合いになるけど、松竹富士でゲリラ的に映画を作っていた頃と、今でも変わらないところがある。組織によって高圧されるとみつみる闘志を燃やす人である。
 様々な問題が表面化した時、奥山氏はNHKが組織ぐるみで挑みかかってきたと感じた。だから燃えた。自分で撮り直すと宣言した。黛氏と作家対作家の話し合いが最後まで行われていたら、あんな大騒ぎにならなかったのでは、と思う。
 しかし1つだけ解せないことがあった。
 10年前、奥山氏はまだ30そこそこのプロデューサーだったが、スタッフに問題があると見るや、クランクイン直前でも容赦なく首を切る人だった。
 僕白身も何度かそういう目に遭遇した。奥山氏の決断によってボツになった脚本は数本あるし、今回の『RAMPO』のように、仕事はしたがクレジットされていない映画はまだ他にもあるぐらいだ。
 奥山氏は黛氏の完成作品を見て、これでは商品にならないと判断を下した。しかし、いくら松竹の重役として多忙を極めたとしても、ラッシュには目を通していたはず。駄目なら駄目でどうしてもっと早く黛氏の首を切ろうとしなかったのか。
 僕の疑問に、奥山氏はこう答えた。
 「それは野沢君と同じて黛さんに何とか撮らしてあげたかったのだ」
 脚本クレジットを下ろしてもらう時、僕は「クレジットだけじゃなく、ホンも引き上げます」と言うこともできたろう。
 それができなかったのは、脚本には黛氏の意見も多く入っていて、僕1人のオリジナル脚本と主張できない弱みもあったのだけど、これ以上のトラブルに発展すれば黛氏が監督として映画を撮れない状況に追い込まれる気がしたからだ。
 恩着せがましく聞こえるかもしれないけど、僕は黛氏に何とか映画を撮って欲しかった。だからクレジットだけの問題で事を収めようと思った。
 NHKエンタープライズでハイビジョン映画の企画をしていた黛さんは、なかなか仕事ができなかった。独特の美意識を持つ優秀なディレクターである。僕はハタから見ていて、NHKは黛さんを飼い殺しにしてるように思えた。
 『乳房』が潰れ『春の雪』も潰れた。その度に黛氏が内向していく姿は、見ていて痛ましかった。
 奥山氏も同じように感じていたのだろうか。
 ビジネスとして割り切ることができず、「もう少し様を見てみよう」と決断を先延ばしにして黛氏に情けをかけたために、ゼロ号試写後のトラブルに発展した、ということなのか。
 ともあれ奥山氏は、「自分で撮り直す」と言ってしまった以上、有言実行しなきやならなくなった。
 だがトラブルの責任を取るために奥山氏は初監督をした訳ではない。彼は心底『RAMPO』に魅されていたのだ。
 こうして2種類の『RAMPO』が世に並ぶこととなった。
 5月6日にイマジカで奥山バージョンを見せてもらった。そして17日に松竹の試写室で黛バージョンを見た。

 このエッセイは、映画館で、金を払った客のいる場で映画を見て感想を記す、というのがテーマだが、今回だけは趣旨を外れることを許してほしい。
 映画が公開中にこのエッセイを掲載してほしかったのだ。僕がこれから指摘する様々なことを、読者の方々はご自身の目で、映画館に行って確かめてほしい。

つづく
(野沢尚著書より)


2009-06-22 09:58  nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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コメント 2

gyaro

こんな事があったなんて、ぜんぜん知りませんでした。
てっきり前回の流れで、1件落着していくものだと思ってました^^;
つづきが楽しみです!


by gyaro (2009-06-27 14:10) 

野沢

gyaro さん
記事にしたのは一部で、仕事をしてきた中で他にも厳しいことがたくさんあったようです。
by 野沢 (2009-06-28 01:40) 

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